妖館 −三月十八日−
身体がガクリと揺れて目を覚ますと、窓の外が明るくなっているのが見えた。
腕時計を見ると、もう昼になろうとしている。
結局、今自分が置かれている状況が夢でない事に、肩の力を落とさずにはいられなかった。
「くそ・・・」
昨日、あれから色々な方法を試し、この洋館から脱出しようとした。
自分が侵入した窓へ行ったが、何故か窓は綺麗に元通りになっていた。部屋を間違えたか
と思ったが、そうではなかった。
その時は窓も開かず、破壊しても気味が悪い事に、窓はすぐに元通りになった。こちらが
割れ目から逃げようとする隙間も与えてくれない。
何処の窓も、何処のドアも同じだった。
外へは出してくれない。
思い切って電話を使ってみたが、通じていなかった。自分の持っている携帯も、何故か圏外
になっていて、使えなかった。
悪夢を見ているのかと思った。だが違った。
疲れていつの間にか部屋の床で寝ていたが、目が覚めても洋館の中だったのが、この状況
が夢でない証拠だ。
「おはよう、泥棒さん。気分は如何?」
あのセーラー服の少女が現れた。この化け物が!
「俺を此処から出せ!」
「明日まで無理よ」
「だから、どういう意味だっ」
幽霊と話しているなんて、気が狂いそうだ。
少女は言った。
「それよりも、ごはんでもどう? 食べながら、この家に起きた事を話してあげるわ」
そういえば昨日は脱出するのに夢中で、何も食べていない。そう思うと急に腹が減った。
少女はもう部屋を出て行った。
「おい」
舌打ちをつきながら後を追った。こんな場所で飢え死になるのは真っ平だ。
少女の後を追いかけると、ダイニングに着いた。少女はもう既に座っている。
どうぞ、と少女に言われ、向かい側の席に着いた。
「お前の他に誰か居るのかよ」
「居るわ。パパにママ、弟の誠、お手伝いさんの菊恵さん」
最悪だ。どうせ皆、幽霊なんだろう。幽霊屋敷か、此処は。
頭を抱えて苛まれているところへ、キイキイとワゴンを押す音が聞こえた。
見れば白いエプロンを身につけた、生気の無い中年の女が食事を運んで来ていた。
多分、この女が『お手伝いさんの菊恵さん』なのだろう。
菊恵は無言のまま二人分の食事をテーブルに置き、短く会釈をすると、ワゴンを押して
ダイニングから出て行った。
「さ、食べましょ。平気よ、毒なんて無いわ」
思いっきり訝しげな顔をして、恐る恐る目玉焼きを口に運んだ。味はある。
幽霊が作った料理か・・・。味はともかく寒気がする。
少女は腹立たしいほど明るい口調で話し出した。
「あたしの名前、西園寺鞠子(さいおんじ まりこ)。高三の時に、この家で死んだの」
「お前の事なんかどうでもいい。何でこの家から出られないんだ。そこだけを教えろ」
鞠子はちょっと不機嫌な顔をして続けた。
「パパの所為よ。あのね、七年前にママが不倫している事をパパが気付いてね、その時が
昨日の午後五時よ。パパは、あたし達が本当の子供じゃないって早とちりして、ママと一緒に
銃で撃って殺したの。その場に居た菊恵さんまで巻き込んじゃって、迷惑な話よね」
まるで世間話のように、鞠子は死んだ原因を話した。
たかが不倫でそこまでするのか? と思った。
泥棒の自分が言うのも何だが、父親は立派な犯罪者じゃないか。
「ま、あたし達を殺した後、パパも自殺してね。でもそれからよ、この家がおかしくなったのは」
やっと本題に入った。
「パパはママに裏切られたのが相当ショックみたいね。死んでも怨念ってのが残って、あたし達
までもこの家に縛り付けてるの。夫婦の問題にあたし達を巻き込まないで欲しいわね、ほんと」
鞠子は最後の言葉を吐き捨てるように言い放った。
鞠子はコーヒーを飲み干し、落ち着いた口調で言った。
「あたしは七年間、同じ事をずっと繰り返しているこの家に縛り付けられてるの。貴方も悪い日
に来ちゃったわね」
「同じ事って何だ」
「明日の午後三時二分が悲劇が起きた時間、つまりパパがあたし達を殺した時よ。三月十九
日のその時間になると、パパの部屋のドアが開いて、パパが出て来て、また昔と同じように
あたし達を殺すの」
昨日見た、あのつる草模様のドアの部屋か・・・。確かにあのドアは、何をしてもビクともしな
かった。
ゾクッと悪寒が走った。
「殺すって・・・お前、死んでるんだろ?」
鞠子は微笑を浮かべた。余計に寒気がした。
「地獄と同じよ。何度も怪我を負っても、次の瞬間には元に戻って、苦痛が繰り返される。此処
はある意味、地獄だわ」
鞠子はクスクスと笑った。何で笑ってられるんだ。
気味が悪い。
「此処はもう駄目よ。パパが不倫に気が付いた時から、パパがあたし達を殺して自殺する時
まで、此処はパパの怨念で外界から閉ざされるのよ」
鞠子は肩を竦めて言った。瞳は哀しみで満ちている。
「貴方も気を付けた方がいいわ、泥棒さん。もしかしたら、パパは貴方も殺すかも知れない」
一瞬、耳を疑った。
「何だって? ふざけるなよ、おい。どうして俺が」
「パパが何をするかは解らないもの。あの時のパパは、相当イッちゃってたし」
平然と言う鞠子の態度に、心底腹が立った。
こんな所で閉じ込められた挙句、幽霊なんかに殺されてたまるか!
「何とかしろ。お前達家族に巻き込まれるなんて、冗談じゃない!」
「可哀想だけど、あたし達はパパを止める事は出来ない。でも・・・」
「何だ」
「死んだ後、ママがぼやいてたわ。日記にすべてが・・・って。多分、ママの日記に何か重大な
事でも書いてあるんじゃないかしら? それも、パパが知らない事ね」
「何かって何だよ。その日記は何処にあるんだよ」
鞠子は首を横に振った。
苛立ちが絶頂を越え、思わずテーブルを荒々しく殴った。ガチャンッと派手に食器が鳴った。
何が何だかさっぱりだが、その日記を見つけてやる。
この洋館から逃げ出せるのにつながるヒントが、あるかも知れない。
すぐさま二階の母親の部屋へ向かった。
同じ階に、あの父親の部屋がある事を思うと、いい気分ではなかった。酷く落ち着かない。
まるで逃げ込むように、母親の部屋へ入った。相変わらず香水の香りがする。
夢中になって部屋をあさった。タンス、ドレッサー、ベッドの下、本棚・・・。
「これも・・・違う。ちくしょう!」
手に取った本を投げた。
部屋はもう見事に荒らされた。だが、肝心の日記は何処にも無い。
死にたくない。死んでたまるか。ましてや幽霊なんかに、殺されてたまるか!
「見つかりそう?」
まるで人事のように、鞠子が声をかけて来た。
頭にカッと血が昇る。
「お前も捜せ! お前だって成仏したいんだろ!? 弟が居るとか言ってたな。そいつや母親
を引っ張り出して、手伝わせろ!」
「無理よ。誠はパパに殺されて以来、自分の殻にこもっちゃってる。ママも同じ。菊恵さんだっ
て、相当うんざりしてるし」
「じゃあ、お前が手伝え!」
足元にあるものを蹴飛ばしたが、鞠子はちっとも動揺しなかった。
何でこいつはこうも冷静で居られるんだ。死んだ後も、成仏せずに何度も何度も殺される
なんて、冗談じゃない。
「お前・・・怖くないのか!? また殺されるんだぞ!?」
別に鞠子の事を心配した訳じゃない。自分が助かりたい一心で言った叫びだ。
鞠子は口元をニッと歪ませ、不気味に微笑った。
「あたしはもう死んでるもの。今更、何を怖がれって言うの?」
これまでに無いほど、寒気を感じた。真冬の川に身を投げた気分だ。
足が竦む。初めて鞠子を幽霊だと知った時よりも、恐怖心がつのった。
「くっ・・・」
自分が散らかした物に何度もつまづきながら、鞠子から逃げるように部屋を出た。
鞠子の笑い声が聞こえる。悪寒が走る!
夢中になって階段を駆け下りた。もう二階には行きたくない。日記もあの部屋には無かった。
だからもう行く必要は無い・・・多分。
玄関の近くの振り子時計が目に入った。正確に時を刻んでいる。
今日が終わるまで、あと十二時間ほどある。何としてでも、脱出の手がかりを見つけて
やる!
「(考えろ。日記を見つけても、大した事が書かれてなかった場合、どうする?)」
適当な部屋に入り込んで、ソファに座り、考えた。
この洋館の呪いを解く・・・すなわち鞠子の父親をどう説得するか。
そもそも、父親の無念は何だ。妻の不倫? それはもうしょうがない事だ。
実は不倫をしていなかった、という事実は無い。鞠子も母親の不倫を確実に認めていた。
「根に持ちすぎなんだよ、クソッ」
口から出るのは悪態ばかりだ。
不倫の事実は変えようがない。
では、どうやって父親の無念を断ち切る。自分は泥棒であって、聖職者ではない!
「妻を殺して自分も死ねば良かったじゃねえか・・・何だってこうもガキまで・・・」
何気なくこぼした愚痴に、ハッと気が付いた。
そうだ。何故、父親は子供達を殺したんだ?
そういえば、鞠子が言っていた。父親は鞠子達が自分の子供ではないと勘違いし、殺した
とか・・・。
「・・・オヤジの無念はそれか?」
賭けてみる価値はある。
父親に、鞠子達が本当の子供だと確信すれば、成仏するかも知れない!
「けど、どうすりゃいいんだ」
母子手帳なんか、あてにならないだろう。
本当の親子である証拠・・・血液型は信用がいまいちだ。不倫相手が父親と同じ血液型で
あったら効果は無い。
血液・・・DNA! そうだ、DNA鑑定がある!
しかし、すぐに断念した。いい考えが浮かべど、すぐに問題にぶち当たる。
こんな洋館に、そんな鑑定が出来る器具があるはずない。
「やっぱり、日記を見つけるしか無いのかよ!」
自棄になった。
今居る部屋の棚をあさり出す。アルバムも出て来たが、役に立ちそうなものは無い。
手当たり次第あさると、別の部屋に入ってまたあさった。
こうなったら、風呂場の中まで捜してやるつもりだった。トイレも、キッチンも。
振り子時計が午後四時を知らせた。何処に居てもあの時計の音だけは聞こえる。
まるで嘲笑っているように聞こえた。
「何処にあるんだよっ・・・」
日記らしき物は一向に見つからない。
どの部屋もくまなく捜した。それこそ、足の踏み場が無くなるほど散らかして。
そのうち、本当に日記が存在するのか疑わしくなって来た。
「もう一度、初めの部屋から調べなおすか」
背後で物音がした。
鞠子かと思って振り返ると、学ランを着た少年が立っていた。
「ぅわっ!?」
相手の血色の悪い肌、恨みがましい目つきに、思わず後ずさりした。
こいつはきっと・・・鞠子の弟だ。どうして今更出て来た。
直立不動のままこちらを見据え、鞠子とは違った不気味さを持つ弟に、恐怖を抱かずには
居られなかった。
弟と比べると、まだ鞠子の方が人間味がある。
「な、何だよ」
「・・・・・・ママの日記なら、知ってるよ」
聞き取りにくい声でそう言った。だが、周りが静かなだけに、酷く鮮明に聞こえた気がした。
特に、日記という単語に。
「ほ、本当か? 何処だっ」
願ってもない好機が訪れた。藁にすがるような思いで、弟に日記の在り処を聞き出した。
弟は無言で背を向けて、音も立てずに歩き出した。すかさずその後を追う。
部屋を出て、廊下を歩き、二階へ通じる階段を上る。
日記は二階にあったのか・・・。やはり、母親の部屋だったのだろうか。
いずれにしろ、弟は姉と違って協力的だ。その事が嬉しかった。
そう思った時だった。
突然、弟は振り返ると、力いっぱい突き飛ばして来た。成す術も無く、身体のバランスは
崩れた。
「わあああぁっ!?」
天井と床が逆転する。一階の床に着くまで、そのまま派手に転がり落ちた。
身体を、頭も強く打ち付けられ、気が遠のいた。
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