妖館 −三月十七日−
人の通りが少ない住宅地を歩き続けること数十分。ようやく目ぼしい民家を発見した。
民家、というよりは洋風の館だ。今時にしては珍しい造りで、褐色を帯びた赤レンガの壁と、
張り付くツタの葉が古めかしさを出していた。
実に古い建物だが、金目の物はありそうだ。
周りに人は居ない。通る気配も無い。
幸いにも、この家の敷地は広く、例え中に人が居たとしても、叫び声が隣人宅に聞こえてしま
う心配は無さそうだ。
帽子をかぶり直し、持っていたサングラスをかけた。
インターホンを鳴らしてみた。
応答は無い。
再度鳴らすが、やはり応答は無かった。
チャンスだ。
鉄柵の門を開け、敷地内へ進入した。まずは本当に人が居ないのか確かめなければ。もし
かしたら、偶然インターホンが聞こえなかったのかも知れない。
庭に生えている様々な種類の植物は、気にも留まらなかった。やたらと生えていたお陰で、
隠れながら進む事は出来たが。
窓が見えた。
茂みに身を隠しながら窓に近づき、そっと中を覗いた。
本棚が見える。壁には恐らく名画であろう、立派で大きな絵画が飾られていた。
この洋館風の建物からすると、今見ている部屋は、さしずめ書斎と言ったところか。
人は居ないようだ。
窓に手をかけたが、やはりカギがかかっていた。
手にハンカチを巻き、なるべく音を立てないように窓ガラスを割った。多少無理があって、
パリンッと派手な音が立ってしまったが、人が来る気配は無かった。
どうやら本当に無人のようだ。
出来た穴から手を入れてカギを外し、ついに屋内へ侵入した。
土足のまま屋内に入ると、その家特有の匂いが鼻をかすめた。埃臭くなく、人の残り香らしき
ものも匂わない。
此処は廃屋だろうか。そんな考えが頭をよぎった。
しかし、すぐにそんな馬鹿な考えを消した。こんな綺麗な廃屋があるか。
とにかく物色を始めた。
タンスが無いので机の引き出しからあさった。
覚え書きのような用紙が数枚、万年筆が一本、ハンカチ、懐中時計、写真。
「(通帳、印鑑は・・・無しか)」
自然と舌打ちが出た。
懐中時計だけポケットに押し込んだ。写真はちょっと気になったが、見ている暇は無い。
他に目ぼしいものは無さそうだ。後は本棚にぎっしり詰められた本だけだ。
「(別の部屋に行くか)」
そっとドアを開けて廊下を出た。
廊下は綺麗なフローリングで、所々に花瓶や花が装飾品として飾られていた。
廊下に飾られてある花瓶や絵皿は高価そうだが、かさばる物は邪魔だ。ポケットに入れるぐ
らいの大きさで充分だ。
一向に人の気配がしないので、調子に乗って廊下を進んで行くと、ホールにたどり着いた。
「立派なもんだ」
思わず皮肉が漏れた。
さほど大きくはないが、天井には綺麗なガラス細工のシャンデリアが飾られてあった。二階へ
通じる階段も、わざわざ弧を描いて洋風さを表している。
玄関のドアはカギがかかっている。家の住人が帰って来た時、少しでも時間稼ぎになるよう
チェーンもかけておいた。
埃ひとつ無い手すりを触りながら、二階へ上がった。
すぐ傍のドアよりも、奥にある他とは違う造りのドアが目に入った。つる草模様などが彫ら
れ、ノブが鈍い金色のドアだ。
大方、この屋敷のご主人の部屋だろう。
早速その部屋へ向かった。
ノブに手をかけたが、ノブはビクともしなかった。もう一度力を込めてやったが、やはり無理だ
った。
「くそっ」
カギでもかかっているのだろうか。しかし、ドアにはカギ穴など無い。
今度は体当たりをしてみたが、ドアは振動すらしなかった。
「そこは開かないわよ」
後ろから女の声が上がった。
驚きのあまりに心臓が締め付けられた。
振り返ってみれば、セーラー服姿の少女がそこに立っていた。
「な、何だ」
少女の姿を見て、少し安堵した。突然だったので驚いたが、相手がこんな子供なら問題は
無い。
ちょっとでも悲鳴を上げたらすぐに押し倒せるよう、体勢を正した。
でも、待てよ。こいつは今まで何処に居たんだ? 確かにこの屋敷には、人の気配はしなか
ったはずだ。
「そこ、開かないのよ」
あどけない笑顔を見せて、少女はまた言った。
何故この少女は、悲鳴も上げなければ、逃げようとしないのだろう・・・。こちらを油断させてい
るのかも知れない。
「何なんだ、この部屋は」
「パパの部屋よ」
肩まである黒髪をサラリとなびかせ、少女は階段の方へ向かった。
逃げる気だ。
反射的に素早く少女の手を掴んだ。
「ちょっと、痛いって」
悲鳴すら上げない。
「お前、この家のもんか?」
「そうよ。痛いって、離してよ」
少女は顔をしかめたが、手は離さなかった。いっそう力を込める。
「金を出せ。通帳でもいい。ありかを言えば離してやるよ」
「ママの部屋にあるわよ。盗っても無駄だと思うけど」
「案内しろ。こう馬鹿みたいに広くちゃ、日が暮れちまう」
「早くこの家から出たほうがいいわ。まだ間に合うかも知れ」
「黙って案内しろ!」
これほど威嚇しても、少女は顔色ひとつも変えなかった。
小声で文句を言いながら腕を掴まれた状態で、母親の部屋へ向かった。ちょっとでもおかし
なふりをしたら、ただじゃおかないぞ。
階段を挟んで向かい側の廊下の奥に、母親の部屋はあった。中へ入ると、ほのかに香水の
香りがした。
中へ入っても少女を放さなかった。片手で机をあさるのは多少苛々したが、しょうがない。
通帳と印鑑が見つかった。もうこの屋敷には用が無い。この少女にもだ。
「早くしないと、もう日が暮れるわ」
少女は言った。
確かに窓の外から西陽が射し込んでいる。日が暮れると親が帰る事を警告しているのだろう
か。
「言われなくても出て行ってやるさ。もう此処には用が無ぇ」
少女を突き飛ばして部屋を出た。
あいつが警察に通報する前に、この家の者が帰ってくる前に、遠くへ逃げ切ってみせる。
自信はあった。
他にも物色したい気持ちを抑え、玄関を目指した。
階段を駆け下り、シャンデリアの下を通り過ぎ、玄関のノブに手をかけようとした時だった。
ボーン ボーン・・・
「っ!?」
壁際に置かれていた振り子時計が大きく鳴った。突然だったので酷く驚いた。
さっきの少女といい、この時計といい、本当に心臓に悪い。
時計は五時を知らせて五回鳴り、ベルの余韻を残しながら、またチクタクと秒針を鳴らし出し
た。
チェーンとカギを外し、ノブに手をかけた。しかし、ドアは開かなかった。
「えっ」
押しても引いてもビクともしない。
ガチャガチャと乱暴にノブを動かすが、ドアは開かなかった。
「何だってんだクソッ!」
「遅かったみたいね」
またあの少女の声が上がった。
振り返ればやはりそこに居た。足音も何もしなかったのに!
「お前、何をした。此処から出せ!」
「無理よ。此処はもう開かないわ。明後日の出来事が来るまでね」
「ふざけるな! 訳の解らない事を言いやがって!」
少女の胸倉を掴んだが、少女は物凄い力でその手を払いのけた。何だ、こいつ。
「だから言ったのよ、早く出て行けって。あのね、泥棒さん、此処はもう七年前からこんな感じな
の。三月十七日の午後五時から外の世界から隔離されちゃって、明後日の十九日が過ぎない と元に戻らないのよ」
頭が痛くなって来た。
そんな馬鹿な話があってたまるか。小説じゃあるまいし!
「お・・・お前、お前は何だ、何なんだよ!」
少女は妖艶に微笑った。背筋がゾクリとした。
その時、傍の壁にかけてある金縁の鏡が、ふと目に入った。
冷や汗をかいている自分の姿・・・それしか映っていない! 目の前に居る少女の姿が鏡に
無い!
「驚いた? あたし、幽霊なのよ」
少女はそう言って、また微笑った。
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