Heiligen‐Cross

 宿。
 ナットはこれまでの事件をレポートにまとめる中、ある事に気が付いた。
 十件の事件を調べに行き、その内の四件の事件後にナット達は『エボス』に遭遇している
のだ。
「(一回目は偶然かと思ったが・・・)」
 アガラナでの事を思い出した。
「(四回となると考えものだな)」
 やはり、こちらの行動が連中に知られているのだ。チャペルに裏切り者が居るとすれば、
やはり場所はセルネニアだろうか。
 あそこはナット達の拠点であり、すべてのチャペルの情報が行く場所だ。
「(・・・考えたくないな)」
 ナットの頭に一人の女性が浮かんだ。セルネニア・チャペルの大教母。彼女にもし危険が
及んだら・・・。
「エルフリーデ・・・」
 ポツリと彼女の名を、ナットは愛おしげに呟いた。
 その時、部屋のドアがノックされた。物思いにふけていたので、少し驚いた。
「はいよ、今開ける」
 ナットは飄々とした口調で応じた。しかし、油断はしなかった。
 チェーンをかけたままドアを開けると、ルーシャの姿が見えた。
「お嬢さん?」
 来るのが早いな、と思った。とりあえず、チェーンを外してルーシャを中に入れた。
「お待たせしました」
「悪いね。急かせてしまったみたいで」
「いえ・・・。聞きたい事もあったし」
 ナットは首を傾げながら、お茶の用意をした。ルーシャもテーブルにセアランが用意してくれ
た弁当を出した。
 椅子に座り、カップに湯を注ぎながらナットはルーシャに尋ねた。
「で、何かな、聞きたい事って」
「え・・・え〜と、あの、サーマイでの儀式なんですけど、失敗したじゃないですか」
「うん」
「なのに何で、アメルさんは生前の事を覚えていたのかなって。あの、ネオって人は覚えてなか
ったのに・・・」
 ルーシャの記憶が確かなら、ネオの儀式は成功したはずだ。
 それなのに、失敗したアメルと違い、ネオは生前の記憶を持ち合わせていなかった。
 ああ、とナットは生返事を返した。
「多分そりゃ、髪の毛の所為だ」
「髪?」
「アメルの時は、あの小僧が彼女の髪を素に加えたから、アメルは『アメル』として甦る事が
出来た。彼女に生前の記憶があったのは、その所為だ。だがネオは、生前の身体の一部が
無い状態で、甦った。あれはもう魔力の塊に過ぎない。記憶があれば、少しは違っていたかも
な・・・」
 ナットは本当に切なそうに言った。
「・・・ところでお嬢さん、本当に聞きたい事は何だい?」
「えっ?」
 驚いたルーシャを見て、ナットはニヤリと笑った。
 見透かされている、そう思ったルーシャは、少し顔を赤らめた。
「隠し事は出来ないんですね・・・」
「洞察力には自信があるんだ」
 ナットの楽しそうな口調に、ルーシャは苦笑いを浮かべた。
 言うか否か、此処に来るまでずっと悩んでいた。さっきも結局勇気が出なくて、咄嗟に話題を
変えた。
 しかし、ナットにチャンスを与えられた。これを逃したら、もう次は無いかも知れない。
 ルーシャの揺らいでいた決心が、不安定ながら固まり出した。
「お嬢さん?」
 ルーシャは口を開いた。初めの言葉が喉で止まる。堅く手を握り締め、ルーシャは絞り出す
ように言った。



「っ・・・・・・と、父さん・・・でしょ・・・?」



 ナットの顔つきが変わった。こんな驚愕に満ちたナットの顔は、初めて見た。
「何を・・・」
「さ、最後まで聞いて下さい。初めて見た時から、どっか懐かしい感じはしてたんです。昔、
母さんから父の唯一ある写真を見せてもらいました。父が20、母が22の時の写真です」
 ルーシャは次第に身体が震えて来た。
 興奮か、否定される恐れか。
 きっと両方だろう。
「その写真の父の面影が、貴方にあるんです。気の所為じゃない。レオさんの家にあったリベ
ルに居た頃の貴方の写真を見て、確信が持てました」
「・・・・・・」
 ナットは目をそらした。
 何も言ってくれないナットに対し、ルーシャは涙が滲んだ。
 振り絞るように、ルーシャはナットに言い続けた。
「母が・・・母がよく父の事を、話してくれました。立派な牧師だって・・・。私は、父に会いたくて
チャペルに来たんです。父に、会いたくて・・・追いつきたくて・・・」
 だからこそ、魔術も会得したかった。
 そしてナットは、ようやく口を開いてくれた。
「・・・何故、そこまで慕えるんだ? ずっと居なかった父親を」
「母にもよく言われます。確かに父が居なくて寂しかった・・・。でも、父の事を話す母は、とても
幸せそうで、私は父を嫌いになるなんて出来ませんでした」
 その話を聞いて、ナットは少し顔を赤らめた。これも初めて見る。
「母さん、本当に父が好きなんだなって思うんです。私の名前とか」
「名前?」
 ルーシャは頷いた。
「気が付いたんです。私のミドルネームのH、母は叡知とかけたって言ってたけど・・・」
「・・・・・・あっ!」
 するとナットは、ますます顔を赤くした。どうやら気が付いたようだ。それを見たルーシャは、
嬉しそうに微笑った。
「何を考えているんだ、あいつは・・・」
 ナットは片手で額を覆った。
 ミドルネームの『H』は、ナットの本名のファミリーネーム、『ハイリゲンクロス』のイニシャルな
のだ。
 エルフリーデの子供じみた発想に、ナットは目眩がした。
 ルーシャはナットの言葉を待っていた。ナットも、もう黙っている気は無いみたいだった。
「・・・今更かと思うかも知れないが」
 ナットは目をそらすのをやめた。
 ルーシャは期待と不安の気持ちでいっぱいだった。
「僕はお前が産まれてからずっと、片時もお前を忘れた事は無かった」
 ナットの言葉が全身に響き、ルーシャは何度も涙を拭った。しかし、涙は止まらなかった。
「気が済むまで罵声していい。僕は最悪な父親だ」
 ルーシャは首を激しく横に振った。
「っ・・・い、言ったはずです! 恨み言なんか無い。私も母さんも、たっ、ただ・・・父さんに会い
たかっ・・・!」
 思わずナットは席を立ち、ルーシャを力強く抱き締めた。
 そして、ナットは少し掠れた微笑いを漏らした。
「・・・大きくなったなあ。前に抱いた時は、僕の腕にすっぽり入るくらい小さかったのに」
 ルーシャはとうとう声を上げて泣いた。
 ずっと父の存在、そしてその温もりを知らずに育って来た。
 何度も会いたいと思い、何度も父親というものに空想を描いた。時にはそれで、母も困らせ
たりした。
 今感じるナット、いや、父の暖かさに、ルーシャは言いようの無い幸せな想いでいっぱいで
あった。





                              





 夕食が済んで、セイクはレオに車で宿へ送られた。
「すみません、お疲れのところを」
「気にしないでくれ」
 レオは笑って返した。
 宿に着いて車を降り、セイクは丁重にお礼を言った。
「本当に有り難うございました」
「どう致しまして。今度会うのは、セルネニアだね」
 レオも大司教に用事があるらしい。
 そしてレオと別れた後、セイクはふと思った。あんな善い人がナットの友人とは信じがたい、
と。
 これまでセイクは、ナットに三回も変わり身にされ、もう十回以上は坊主呼ばわりされ、酷い
時は間近で魔術を使われた。
「(本ッ当にウマが合わないんだよな、あの人とは!)」
 今更、合いたくもないが。
 ナットはセイクに対する扱いは酷いが、何故かルーシャには気味が悪いくらい優しかった。
 それはルーシャが、大教母の娘だからかも知れない。
「(そんな特別扱いしたら、ルーシャは怒るだろうな)」
 ルーシャは『大教母の娘』という肩書きを、もっとも嫌っている。
 あれこれ考えているうちに、セイクはナットが居る部屋の前に着いた。
 ノックをして、しばらく経ってからドアが開いた。チェーン越しにナットの顔が覗いた。
「ただいま戻りました」
「今開けるよ」
 部屋にルーシャの姿は無かった。もう寝たみたいだ。
 ナットは明日の予定をセイクに話した。
「始発の汽車でセルネニアに帰るから、早めに寝ておく事。チャペルに戻ったら、しばらくは
滞在だ」
「滞在?」
 てっきり一泊くらいして、すぐに発つものだと思っていた。
「何か問題があったんですか?」
「いや。休息は必要だし、色々と調べる事もある。心配は無用だ」
 ナットは、裏切り者の事は話さなかった。ルーシャにも話していない。
 滞在は、セルネニアに居るかも知れないと思われる裏切り者の尻尾を、つかむためだ。それ
が駄目なら駄目で、別の手を打つが。
「解りました。それじゃあ、お先に失礼します」
「ああ、お休み」
 セイクは寝室へ向かった。
 ナットも一通り資料をまとめてから、寝る準備に入った。
 今日はやけに長く感じられた一日であった。つい疲労の溜め息が、ナットの口から漏れた。
「・・・・・・やっぱ隠せなかったか」
 いつかルーシャに打ち明けようとしたが、先手を取られてしまった。流石は我が子だ。
 この事がエルフリーデに知られたら、平手でも喰らいそうだ。今の今まで、エルフリーデも
良心を痛めながら、ずっとルーシャに隠していたのだから。
 そんな事を思いながら、ナットは就寝した。