Suspect
手元の書類が片付いた。レオはようやくそこで、陽がどっぷりと暮れている事に気が付いた。
「もうこんな時間か」
レオは時計を見て、呟いた。
今日はもう打ち切ろうと思い、レオはシールに声をかけた。
「シール、上がってくれ。残りは明日に回そう」
「承知しました」
昼頃にシールはソワの元へ行ったが、三十分程度で戻って来た。
一体何の用があったのか気になったが、レオはシールに何も尋ねなかった。それは単に、
『何となく』である。
シールが運転する車に乗って、レオは帰宅した。
ナーブサの街はもう街灯の明かりしかなく、シンと静まり返っていた。ストリートにも人は見当
たらない。
だがその時、レオは人影を見つけた。
「っ!? シール、止めてくれ!」
「え!?」
レオは突然声を上げた。シールは慌ててブレーキを踏んだ。
「どうしました?」
「すまない、少し待っててくれ」
レオは急いで車を降り、車の進行とは逆方向に歩いている三人に呼びかけた。
「あの!」
レオの声に三人は振り返った。男性が二人に少女が一人。やはり見間違えではなかった。
自然とレオの口に笑みが浮かんだ。
「ナサニ・・・!」
「いやあ少佐さんじゃないですか! 僕をお忘れかな? ナットですよ、ナット!!」
ナットは怖いくらい満面の笑顔でレオに迫り、骨が軋むほど握手をして来た。
呻き声を上げるレオに、ナットは小声で言った。
「この阿呆! 本名で呼ぶなっ」
「す、すまな・・・イタタッ。痛いって!」
ナットは『ナサニエル』である事を、敵に知られる訳には行かない。解っていたが、つい本名
で呼んでしまいそうになった。
レオはやっと手を解放され、まだ残る鈍痛に顔をしかめた。
「お久しぶりです、レオさん」
「こんばんは、ルーシャくん、セイクくん」
彼らだけは快くレオを迎えてくれる。それに比べナットときたら、いまだにレオを睨んでいた。
「それで、どうしたんだ。こんな夜更けに」
「セルネニアに行こうとしたんですけど、ナーブサまでの汽車しか無かったんです」
ルーシャが答えてくれた。
ナットは腕を組んで腹立たしそうに言った。
「まったく災難続きだ。ガワーにはセルネニア行の汽車は無いわ、やっとナーブサに着けば店
は閉まってるわ、お前は居るわ」
「最後のはどうかと思うぞ!」
「ハッ。お前がナーブサに居るのを知ってたら、絶ッ対此処に来るものか」
「こ、このっ」
相変わらずの憎まれ口だらけの会話だった。
ルーシャの視線に気が付いたレオは、軽く咳払いをして言った。
「良ければうちに来ないか? もう店は閉まっているし、夕食もまだだろう?」
確かにルーシャ達は、まだ夕食を食べていなかった。今夜は夕食抜きだと覚悟していたルー
シャとセイクにとって、レオの誘いは有り難い事だった。
するとナットは。
「助かる。この子達だけ連れて行ってくれ」
「えっ?」
ルーシャは戸惑い、レオも怪訝な顔をした。
そんなレオに、ナットは言った。
「誤解するなよ。お前の申し出は、かなり有り難い。けど僕は、あまり他人と関われない」
「む・・・そう、か。では、後で差し入れを持って行く」
「駄目だ。お前は一応僕の知人だ。知らないところでマークされている可能性だってある」
『一応』だの『知人』だの・・・、とレオは悪態をついた。
「あっ、私が持って行きます!」
ルーシャはレオが何か言い出す前に、そう言った。ナットはやんわりと微笑み、ルーシャの頭
を撫でた。
「助かるよ、お嬢さん。宿で待ってる」
「ナサ・・・ナット、すまない」
レオは歯痒い気持ちでいっぱいだった。彼を助けようとしているのに、結局自分は彼に助け
られてしまう。
「そんな顔をするな。気色悪い」
「少しはまともな言葉をかけられないのか!?」
ナットはくぐもった笑いを漏らしながら、じゃあな、と言って、宿へ向かってしまった。
「まったく、あいつはっ」
レオはナットの後ろ姿を、腹立たしく見送った。
そして、ルーシャとセイクだけが車に乗って、レオの自宅へ行く事になった。
後部席から身を乗り出して、ルーシャはレオに言った。
「レオさん、怒らないで下さいね。ナットさんはあんな事ばかり言ってたけど、凄く嬉しそうでした
よ。レオさんに会えて」
すぐさまセイクがギョッとして、反論して来た。
「何処をどうすれば、そう見えるかなあ」
「えー、嬉しそうだったじゃない。嬉々としていると言うか」
それは単に性の悪い悪戯心の現われではないのか、とセイクはひそかに思った。
が、レオもほんの少し戸惑いつつも、ルーシャの言葉に嬉しそうだった。
「有り難う、ルーシャくん」
「いえいえ」
やがてレオの自宅に到着した。やはり地位が少佐だけあって、広い庭付きの大きな一軒屋
だった。
「すっご・・・流石セレブ」
レオの自宅を見て、ルーシャは一言そう漏らした。
「では少佐、失礼致します」
「ご苦労、シール。君もゆっくり休んでくれ」
「有り難うございます、補佐官さん」
シールは敬礼し、自宅経路についた。
「あの、今更ですが、突然お邪魔して大丈夫ですか?」
セイクが尋ねた。
「大丈夫だよ。セアラン、妻も気にしないさ」
ルーシャはレオに妻が居た事を思い出し、どんな女性なのか急に興味がわいた。
レオは鍵を出して、玄関を開けた。
「ただいま」
「わー、中も凄い綺麗!」
「ルーシャ」
「あ・・・お邪魔します」
レオの声を聞きつけて、奥のドアが開き、エプロン姿の女性が出て来た。
「お帰りなさい。あら、お客様?」
「ただいま、セアラン。以前お世話になった、チャペルのルーシャくんとセイクくんだ」
「こんばんは、セイク・エイリオンです」
「ルーシャ・H・リックスです。夜分に突然すみません」
セアランは、にっこりと笑って二人を迎えてくれた。
「初めまして、妻のセアランです。どうぞ上がって下さい」
ルーシャ達は居間に案内され、セアランに夕食を作ってもらった。
もう遅いため、子供達は就寝したようだ。少し残念に思ったルーシャだが、居間に飾られてい
る写真で、レオの子供達の顔を見る事が出来た。
「双子なんですね。可愛いなあ」
「有り難う。ジュリエンヌは最近お転婆でね、弟のマーキスは正反対でとても大人しいんだ」
レオは楽しそうに言った。流石は、二児の父である。
他にも色々な写真があった。家族写真、結婚式の写真、レオの若い頃の写真もあった。
その中で、一枚だけルーシャの目を引く写真があった。
「レオさん・・・これ・・・」
「ああ、ナットがリベルで牧師をやっていた時の写真だよ」
ルーシャはフレームを手に取った。
レオも写真を覗き込んだ。
「ほんと、今と変わらずあいつは目付きが悪いな。私達と一緒に写っている女性は、ある有名
な霊媒師一族のご令嬢でね」
「へえ」
セイクも興味を示し、写真を見た。ただ、ルーシャだけはレオの言葉が耳に入ってないようだ
った。
「簡単ですが、夕食が出来ましたよ。ナットさんのお弁当は、これくらいでいいかしら?」
「あ、有り難うございます」
ルーシャはセアランからお弁当を受け取ると、すぐに出掛けようとした。
「ちょ、ルーシャ。待って」
そこをセイクが止めた。
「もう行くのか?」
「だ、だって、ナットさんが食べてないし・・・」
「貴女もでしょ、ルーシャちゃん」
セアランは困ったような顔をして微笑った。
「そうね、こうしましょ。ルーシャちゃんの分もバスケットに入れるわ。ナットさんも一人で食べる
のも寂しいでしょうし。セイクくんは食べて行きなさい。ね?」
「え、でも」
「私はいいから、セイクはゆっくりしてて。それに」
ルーシャは小声でセイクに囁いた。ちょっとナットさんに言いたい事があるの、と。
「ルーシャ?」
「お願い」
ルーシャは理由を言いたくないみたいだった。
セイクは考え込むような顔をしていたが、やがて頷いた。
「解った。気を付けて」
「ごめん、有り難う」
ルーシャはセアランから自転車を借り、一足先にレオ宅を出る事になった。
「色々とすみません」
恐縮げに、ルーシャはレオとセアランに礼を言った。
「いいんだ。ナットによろしく言っておいてくれ」
「今度はゆっくりして行ってね、ルーシャちゃん」
ルーシャはレオとセアランに丁寧に会釈すると、ナットが待つ宿へ小走りで向かった。
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