魔王、受難 8
夏。
夏と言えばプール、お祭り、夏休み、そして。
「はーい、皆着きましたよー。此処が今日からお世話になる宿舎でーす」
林間学校。
バスに心地良く揺られて熟睡していた(元)魔王デスネルこと三島愛依は、担任教師の甲高
い声で夢から一気に覚醒した。気持ち良く寝ていたところ起こされ、かなり不機嫌な顔をして
窓の外を見ると、ビルばかりあった景色はいつの間にか森林と化していた。
まさに大自然。そして、木々に囲まれるように建つ少し色褪せた二階建ての宿舎。ホテルで
はないから初めから期待などしていなかったが、これほど殺風景だとやはり気が滅入る。出さ れる食事も不味そうな気がした。
初の林間学校に、どの生徒もはしゃいでいた。ただ、デスネルを除いて。
こんな行事がある所為で、荷物が重たい上に貴重な夏休みの日数を削り取られた。その事
しかデスネルの頭には無かった。
配布されたしおりを読むだけでも、デスネルはげんなりした。牛乳工場へ見学、ハイキングし
た後はカレー作り、肝試し、キャンプファイヤー、などなど。
「(面倒臭い・・・。いっそ工場が爆発しろ)」
小学生の女子が考えそうにもない黒い考えが、デスネルの中で渦巻いていた。
また、この団体の近くには一羽のカラスが。勿論、ラキュルスである。都会からずっとあの姿
でデスネルの傍について来ていた。
今も宿舎の屋根で羽根を休め、デスネルの護衛をしている。
「あ、カラス。不吉〜」
そんな女子の声も上がる。
それはさておき、デスネルは自分のグループに当てられた部屋に向かった。
部屋は何処かカビ臭く、ひんやりした畳に、隅っこには折りたたみ式の卓と、人数分の布団
が積み重なってあった。他には何も無い。
「(此処で三泊四日も過ごせと言うのか・・・)」
まあ、魔界の牢獄に比べればマシかも知れない。
しかし、やはり魔界の牢獄の方がマシだった、とデスネルは思う事になった。
理由は夜。
「でね、そしたらあの子がさあ」
「うっそー! 信じられない!」
「でもさ、絶対やりそうじゃん?」
他のグループの女子がデスネルの部屋に来ては、先生に見つからないよう小声でお喋りして
いるのだ。
いくら小声といえども、これだけ集まればうるさい事この上なかった。
「(眠れん・・・! この生娘どもがっ。さっさと寝んか!)」
苛立ちが絶頂に達したデスネルは部屋を出て、トイレへ向かった。トイレの窓を開けると、
漆黒の闇が広がっている。
都会と違って電灯が少ないので、森林は不気味なほど暗く、また静寂に包まれていた。
「ラキュルス」
「はっ、此処に」
漆黒の闇の中から、同じく漆黒の身体を持つカラス、ラキュルスがトイレの窓縁に現れた。
「わしの部屋に居る馬鹿女達を黙らせろ。そして、二度とわしの部屋に入って来ぬようにしろ」
「御意」
すぐにラキュルスはトイレの中に入り、そのままデスネルの部屋へ向かった。こんな光景、
誰かが見たら仰天するだろう。カラスが夜の宿舎に紛れ込んでいるなんて。
デスネルは後からゆっくり部屋に戻った。
部屋に戻ると、既に押し掛けて来た女子は居なくなり、周りも静まり返っていた。
「ごくろ」
「きゃあああ!!」
デスネルが何処かに身をひそませているラキュルスに声をかけたと同時に、別の部屋から
絶叫が上がった。これにはデスネルも驚き、教師達も起き出した。
廊下、部屋に明かりが点けられ、怒涛のように教師がやって来た。
「何の騒ぎ!? 一体、何時だと思っているんです!」
騒ぎがあった部屋へデスネルも行ってみると、そこはもう人だかりが出来ていた。
そして部屋に居た女子が、泣きじゃくりながら教師に訴えた。
「誰かが居たんです! あたしの足掴んでっ」
「何寝ぼけた事を言ってるの?」
教師は苛立った口調で彼女を問い詰めた。
「嘘じゃないもん!」
そう言うと、その女子は布団をめくって自分の足を見せた。ホラー話によくありがちな展開だ
が、そこにはくっきりと握られた痕が残っていた。
周りに絶叫と困惑が巻き起こる。さっきまで彼女を疑っていた教師まで、動揺の色を表した。
すると、別の教師が場を仕切った。
「とりあえず、お前達は部屋に戻れ。点呼を取るからな! 出歩いていた班は掃除をやらせる
ぞ」
生徒達はすぐに戻ったり、なかなか動かなかったりと色々だが、デスネルはさっさと部屋へ
戻り、何処かに居るラキュルスに声をかけた。
「おい、やりすぎだ。余計、うるさくなった」
「いいえ、デスネル様。あれは私の仕業ではありません」
私がやったのは、この部屋に居た女子達を術で追い返しただけです。と、ラキュルスは付け
足した。
デスネルは訝しげな顔をするが、ラキュルスの言葉に嘘は無いと察し、眠いのを耐えて点呼
を受けた。
翌朝。
あの後、教師達も宿舎の管理人と共に不審者が居ないか確認したが、誰も居なかったらし
い。
被害者の生徒は、自宅に帰ると一点張りであったが、この事が保護者の耳に入ると厄介な
事になる上、最悪全員が帰宅になる可能性もあり、何とか教師達が彼女を説得して落ち着か せた。
「幽霊の仕業でしょうか」
「貴様まで何を下らない事を言ってる。ホラー特集の見すぎだ、馬鹿者」
デスネルはジャガイモの皮を剥きながら、近くの木に止まっているラキュルスと小声で話を
していた。
本日は屋外で、飯ごう炊飯である。
キャンプでの定番であるカレー作りに、生徒達は精を出していた。
「何故にこうもクソ暑い中でこのような事を・・・!」
デスネルは斬った、もとい切ったジャガイモを、鍋にどっさりと入れた。
煮込み担当の同班の女子が、デスネルに言った。
「ねえ、愛依ちゃん。昨日の騒ぎ、幽霊だと思う?」
「どうかなあ」
心底どうでもいい。それがデスネルの本音であった。
「今夜は肝試しもやるんだよ? 嫌だなあ。何か出たりしたら・・・」
「肝試し?」
内臓でも引きずり出すのだろうか、とデスネルは思った。
そんなはずもなく、デスネルは同班の女子から肝試しの説明を聞いて、やはり下らないと思っ
たそうだ。
そして夜が訪れた。
肝試しの前に、生徒達はホールに集めさせられ、教師から軽い怪談を聞かされた。
ホールの灯りを消すもんだから、女子達は怖がってそれぞれ寄り添い、事あるごとに悲鳴を
上げたりした。
そんな中で、デスネルも・・・。
「やだっ、怖い!」
「・・・鬱陶しい」
隣の女子に引っ付かれて、大変苛立った様子であった。
(元)魔王であるデスネルに、怪談などは世間話にすぎなかった。実際、目の前に幽霊が
出ようが、そんな事は魔界では日常茶飯事である。
こんな事で怖がる訳がなかった。
「じゃ、怖くなったところで、肝試しに移るぞ!」
怪談を話していた教師がそう言うと、全員が悲鳴を上げた。生徒達は嫌だ、と言ったり、調子
に乗って歓声を上げたりと、様々であった。
肝試しのペアは、女子と男子一人ずつで、くじ引きで決められた。
デスネルは、いつだったか授業参観でラキュルスの攻撃を喰らった男子であった。
「げえ。俺、三島とかよ」
「不服ならば一人で行け、小僧が」
不機嫌さを露にして言い放つと、男子は怖気づきながらも、「な、何だよっ・・・」と少し言い
返した。
デスネルとしては、さっさと眠りたかったのだ。
今日はハイキングもあって、大分疲れていた。
「・・・・・・」
ふとデスネルは、殺気を感じた。
これは自分に向けられているものではない。むしろ、デスネルの隣に居る男子に向けられて
いる。
すぐ傍の木には、一羽のカラスが。
闇に溶け込んでいて、皆は気付いていないが、デスネルだけはその殺気で見えていた。
ラキュルスだ。
またこの男子がデスネルに何かすれば、ラキュルスの攻撃が容赦無く降りかかるに違い
ない。
順番を待っていると、何やら教師達が騒ぎ出した。
聞き耳を立てていると、いつまで経っても初めに行った生徒達が戻って来ないと言う。見回り
に行った教師も、戻って来ないらしい。
「おーい、いったん中止だ!」
教師の声が上がった。
デスネルと同じペアの男子が、不満の声を上げた。
「えーっ!? 何でだよ。・・・そうだっ」
「おい、お前。行くつもりか?」
こっそり肝試しに行こうとする男子に、デスネルは言った。
「何だよ、三島。あ、怖いんだろ!」
「・・・・・・小僧が・・・。良かろう」
デスネルはこめかみにうっすら青筋を浮かべ、一緒に肝試しのコースへ入って行ってしまっ
た。
林の中はシンと静まり返っていた。
懐中電灯で道を照らしたり、自分の顔を下から照らしたりと、男子は調子に乗りながら歩いて
いた。
しかしデスネルは、この林に漂う異様な空気を感じていた。
「おかしい・・・」
「は? 何がだよ」
デスネルは相手を怖がらせる目的もあって、素直に言葉を口にした。
「虫の音が聞こえない。入り口付近では鳴いていたのに」
これは嘘ではない。
虫達も敏感に異様な空気を感じ取り、隠れてしまっているのだ。
デスネルの言葉に、男子は少し怖気ついたように歩幅をデスネルに合わせた。
「どっかに居るだろ、虫なんか!」
「近い。怖いのか?」
「ばっ・・・。こ、怖くねえよ!」
その時だった。
ザザアッと、近くの茂みが激しい音を立てて、そこから何かが現れた。
「ぎゃああああ!?」
男子は懐中電灯も投げ出して、一目散に駆け出した。
そして、残されたデスネルの前に、茂みから現れた影が立ちはだかる。
影は、耳障りなしゃがれた声を発した。
「若い・・・オンナの・・・!!」
「っ! 貴様は」
刹那。
「この無礼者がああああッッ!!」
デスネルが何か言いかけた時、影の頭上に人の姿になったラキュルスの足蹴が入った。
ゴスッと鈍い音が立ち、影も低い呻き声を上げて地面に倒れ込んだ。
「デスネル様、ご無事ですか!?」
「まあな。おいラキュルス、乱暴は止せ」
「え・・・? いや、しかし」
デスネルの言葉に戸惑うラキュルスの耳に、影の呻き声が届いた。
再び険しい悪魔の顔になるラキュルスを制し、デスネルは影に懐中電灯を向けた。
「うっ・・・!?」
影は光に過敏に反応し、両腕を顔の前にかかげた。
「貴様、魔界の幼女では飽きたらぬか? のう、ドゥーム」
「ドゥ、ドゥームですって!?」
ラキュルスは驚いて懐中電灯に照らされた影を見た。
長い爪、長い耳、目は闇夜でもギラギラと金に光り、そしてその特徴的な浅黒い肌。
魔界に住む吸血獣のドゥームであった。
「オマエ・・・何故、オレの名を・・・」
「こら控えろドゥーム! 姿は変わっているが、こちらはデスネル様であらせられるぞ!」
ラキュルスの言葉に、ドゥームは目を疑った。
「デ、デスネル様!? ・・・オンナ」
「女と言うでないッ!!」
間髪入れずにデスネルの打撃がドゥームの横面に決まった。だが、威力は全然無いため、
ドゥームは痛くもかゆくもなかった。
「ドゥーム、デスネル様が転生なさったのは知っているだろう。今の姿がこちらだ。まったく。
かつての恩人を襲うとは、不届き極まりないぞ!」
「・・・・・・デスネル様・・・ニオイ、同じ・・・。申し訳ナイ・・・。腹減ってた」
ようやく三島愛依をデスネルと認識したようだ。
デスネルはドゥームに言った。
「おい、まさかとは思うが、昨夜の騒ぎも肝試しのペアが帰って来ないのも、貴様の仕業か?」
「・・・・・・」
ドゥームは、こくんと頷いた。
途端、デスネルは烈火の如く怒鳴った。
「このたわけが! 貴様は力ばかりの頭が足りない存在なのだぞ!? 軽率に行動しおって!
以前に助けてやった時も、その頭の悪さで捕獲されたであろうに!!」
「も、申し訳・・・ナイ! でも、デスネル様・・・心配・・・。魔界から来て・・・捜した」
これにはデスネルもグッと言葉につまり、ラキュルスも苦笑を漏らした。
だが。
「けど魔界から来て、腹減って、デスネル様の事・・・忘れてた・・・」
「死ねッッ!!!」
デスネルは容赦無くドゥームの顔面を蹴飛ばしたが、彼にはノーダメージであった。
スカートを振り乱しながら、ひたすらドゥームに蹴りを喰らわすデスネルを、ラキュルスはなだ
めた。
「ま、まあまあデスネル様。此処は穏便に・・・」
「馬鹿者! 襲われた連中はどうする!」
「それ、大丈夫・・・。ミンナ、少ししか血を吸ってない。あっちで、気絶してる・・・」
頭の足りないドゥームにしては、珍しく気の利いた事をした。
デスネルは大きく溜め息を吐き、ラキュルスに言った。
「ラキュルス、ドゥームを魔界まで連れて行け。こやつ一人だと、また厄介な事が起きそうだ」
「御意に。さあ、ドゥーム。戻るぞ」
早速ラキュルスは、ドゥームの腕を引いた。
「デスネル様・・・。また、来る・・・」
「もう来るな」
無表情のまま、デスネルは言い放った。
そしてドゥームはラキュルスと共に魔界へ行き、一件落着とばかりにデスネルは被害者が
倒れている場所へ向かった。
ドゥームに血を吸われた生徒と見回りに来た教師の様態は、軽い貧血程度で済んだ。一日
か二日安静にしていれば、すぐに良くなるだろうとの事だった。
それからが大変だった。
襲われた生徒は化物が出ただの、あげく見回りに来た教師までも言うものだから、警察沙汰
にまでなってしまい、騒々しさだけを残して林間学校は早々に打ち切られた。
自宅にたどり着いたデスネルは、ドッと疲れが出た様子で、洗濯物などはラキュルスにすべ
て任せ、自分はベッドに沈んだ。
「まったく・・・。魔界の者共は問題しか起こさん」
「そりゃあ、魔界の者にとって人間はエサみたいなものですから」
「まあな」
お陰でこの人間の身体が駄目になるところだった、とデスネルは呟いた。
いつになったら、元の姿に戻れるのか。
そんな事を思いながら、デスネルは少し早めのお昼寝についた。
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