Confidence
ナット達は裏口から劇場を出た後、追跡されないようにあちこち遠回りをしながら宿へ
戻った。
たっぷりと時間をかけたお陰で、宿の部屋に着いた時にはもう外は真っ暗になっており、
街は完全に寝静まっていた。
走った所為で身体が熱くなり、ナットはコートを脱ぎ捨てて椅子にどっかりと腰を下ろした。
「お嬢さんには驚かされるな。劇場で投げた棒の束は何だい」
「ただの花火ですよ」
危険な使い方だったが、何とか逃げる事が出来てホッとした。幼少の頃にも同じような事を
やって、母にこっぴどく叱られたものだ。
宿に無事に戻れて安堵する中、セイクだけは違った。
突然セイクは荒々しく机を叩き、ナットに怒鳴った。
「ナットさん、どうして逃げたんですか」
「当然だろ? 身元を知られる訳には行かないからな。明日には此処を発とう」
「テュイはどうなるんです! あのままじゃ・・・テュイは黒ミサ扱いにされてしまう! テュイは
被害者なんですよ!?」
「後で大司教様にあの小僧の事を報告する。黒ミサ扱いにはさせんよ」
そのナットの素っ気無い態度が、余計にセイクの怒りをつのらせた。
セイクにとってテュイは大切な存在だ。禁忌を犯してしまったにせよ、術を実行したテュイの
気持ちは痛いほどよく解っている。自分は聖職者である以前に、テュイの友人だ。何とかして
あげたい気持ちでいっぱいになる。
セイクは唇を噛み締めた。
「あ、貴方は身勝手だ!! 結局は連中に気付かれるのが怖く、ただ逃げているだけだ!」
「セイクっ」
ルーシャは止めに入ったが遅かった。
ナットは静かにセイクを見つめ、そして言った。
「僕を非難するのは勝手だがな、もし僕の正体が知られて『エボス』の耳に入り、すぐに危険が
及ぶのは誰だ。お前は勿論、お嬢さんはどうなる」
「あっ・・・」
セイクはカッと顔を赤くした。徐々に頭が冷えて行き、言葉に詰まった。
軽く溜め息を吐いて、ナットは何処か呆れたような口調でセイクに言った。
「身勝手はどっちだ。少し頭を冷やせ」
それだけ言うと、ナットは寝室へ入ってしまった。
シンと静まり返った部屋で、ルーシャは気まずそうにセイクに声をかけた。
「セイク・・・」
「・・・ルーシャ、ごめん」
セイクはうつむき、ルーシャと目を合わせずにただポツリと告げた。
ルーシャは首を横に振った。
「ううん。友達が関わったんだもの。しょうがないよ」
「いや、しょうがなくない。牧師は私情に左右されちゃいけない」
基本的な事だ。セイクは改めて自分の未熟さを思い知った。
本当にあの人は先の先まで見ている。いや、何よりもルーシャの身を一番に考えてくれて
いる。確かに大司教がもっとも信頼する人物だけある。
そうセイクは、ナットという男の存在を寛大に思った。
セイクは一気に脱力して、椅子に腰掛けた。
「牧師失格だ。私情に走り、テュイを止められなかった上、助けてもやれなかった。アメルを
見て、思わず動けなくなってしまったし・・・」
「そんな・・・」
「ルーシャ、君は度胸も勇気もある。君が牧師だったら良かったのにな」
すると、ルーシャはグッと拳を握り締めた。
「こ・・・んの馬鹿セイク!」
「痛ぁッ!?」
バシーンッと渇いた音が部屋に響いた。ルーシャの平手打ちを食らい、セイクは目を丸く
した。
セイクは鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしてルーシャを見返すと、彼女は烈火のように
顔を赤くして怒鳴った。
「拳でなかった分、有り難く思いなさい!」
「い、いや、十二分に痛いんだけど・・・」
「うるさい!!」
「ハイ・・・」
叩かれた頬は熱くなり、ジンジンとして凄く痛かった。
ルーシャはセイクを見下して言った。
「私には度胸も勇気もあるって? 私だって怖かったよ! 度胸があったから立ち向かえたん
じゃない。ナットさんやセイクを信頼してたから、前へ出られたんだよ! 絶対助かるって思っ て!」
「っ・・・」
「セイクはナットさんを信頼してないんでしょ。私の事も。私は所詮シスターだしね」
「ち、違う」
「違うなら前へ出なよ! 怖くても、仲間を信頼してれば出来るでしょ? 私が今までやって
来れたのも、セイクを信頼してたからなんだよ!?」
「・・・・・・」
セイクは顔が熱くなった。叩かれた所為ではなく。
ルーシャの事を無茶な行動ばかりしていると思って来たが、あの破天荒な行動は全部自分を
信頼していた訳で。にわかには信じ難いが、ルーシャは自分に背中を預けていたのだ。
ナットと出会う前、リベルのチャペルを出てからずっと・・・。
セイクは椅子から立ち上がった。ルーシャは半泣きだった。
ルーシャの肩にそっと手を置いて、セイクは謝った。
「ごめん」
「知らないっ。もーセイクなんか知らない! 貧弱虫!」
「ひんじゃ・・・弱虫より嫌な響きだな。そこまで言・・・ってイタッ。ル、ルーシャ、痛いって。
痛い痛い痛い! わ、悪かった! 俺が悪かったって!」
少なからず、ルーシャはセイクの言葉がショックだった。
「(私だって、自分が牧師だったら良かったわよ。馬鹿っ・・・)」
実を言えばシスターである事に劣等感を感じている。母に知られたら何と言われるか・・・。
とにかくルーシャは牧師に羨望を抱き、同時に嫉妬も感じていた。
だから余計に、牧師であるセイクがウジウジと落ち込んでいたり、先程のような言葉を言った
のが許せなかった。
この後、深く頭を下げて「ごめんなさい」と言うまで、セイクはルーシャにひたすら平手打ちを
食らい続けた。
一方寝室。
境界はドア一つだったので、ルーシャとセイクの話し声はナットの耳に届いていた。
セイクはもう大丈夫そうだ。別に彼のコンディションがどうなろうと、ナットには関係なかった
が。
「(それにしても・・・)」
あの儀式の事を思い出した。テュイは本の通りにやったと言った。だが失敗した。
テュイが持っていた紙束は、死者蘇生の黒魔術書『スティクス奇書』の写本だろう。渡したの
は間違いなく『エボス』と思われる。
そして『エボス』は、最後の仕上げを故意に書き換えたに違いない。
連中にとってテュイの生死は関係なく、要は騒ぎが起こればいいのだ。わざわざ大手チャペ
ルがある街で惨事を起こす目的は、大方見せしめか。
「(セルネニアの件もそうだろうな)」
『エボス』が危険を冒してまでセルネニアでネオを復活させたのも、チャペルへの挑戦だろう。
完全になめられている、そう思った。
段々腹が立って来たところへ、寝室のドアがノックされた。
「どうぞ」
入って来たのはセイクだった。相当ルーシャに叩かれたのか、異常に頬が赤い。流石、大教
母様のご息女。と、ひそかにナットは思った。
「どうした」
「いえ、その・・・すみませんでした」
「ああ」
どうでもいいように、ナットは受け答えした。先程の事を、子供の反抗期みたいなものとしか
思っていないのだ。一応、セイクは二十歳を迎えているが。
セイクは恐縮そうにナットに言った。
「・・・あの、頼みがあるんです」
「断る」
間髪入れずに返事が返る。セイクの顔が思い切り引きつった。
断られる事は予想していたが、これはないだろう。
「だから、聞く前に拒否らないで下さい! ナットさん、浄化術を教えて下さい」
ナットはようやくセイクを見た。
「習わなかったのか?」
「習いました。でも相性が悪いのか上手く行かず・・・。酷い話、失敗して怪我もしました」
「じゃー、止めとけよぉー」
「どうでもいいように言わないで下さい! 俺は・・・もっと強くなりたいんです!」
強くならなくてはいけないんだ、とセイクは心の内で繰り返した。
ナットは軽く息を吐いた。
「なあ少年、強くなってどうする」
「決まってます。 俺は今のままじゃ、ルーシャを満足に護れない」
セイクが使える魔術は中級程度だ。セイクは今の実力で『エボス』と対立する自信が無かっ
た。
「術がすべてじゃないぞ?」
「解っています、でもっ」
俺には必要なんです、とセイクはか細い声で言った。
ナットは面倒臭そうに後ろ髪を掻いた。
「あのな、僕は確かに若い頃から術に長けていた。だが、それだけじゃ立派な牧師にはなれ
なかった」
「・・・?」
「僕が駆け出しの時の話だ。聞いたらすぐに忘れろ」
ナットは滅多に話さない自分の事を語り出した。
「初仕事は上出来だった、僕的にな。けど、ある女性は事件解決後、突然僕の顔を引っ叩い
た」
「な、何でですか」
「当時の僕は躍起になっていた。とにかく解決、とにかく犯人を捕まえる。それは正しい事だ。
でも、中には心に深い傷を負った犯人だって居るんだ。丁度、さっきのお前の友達のようにな」
ごくたまにだからな、とナットは強調した。
「僕は自分の能力で鼻高になっていてな、そんな犯人の心情なんて眼中に無かった」
余程その時の自分が嫌なのか、ナットは思い切り眉間にしわを寄せた。
セイクは意外なナットの過去を知り、少々驚いた。性格に難はあるが、完全無欠な実力を
持つナットにそんな時期があったなんて、半ば信じられなかった。
ナットはセイクから目をそらした。
「僕は事件を解決したが、それは牧師としてではなかった。ただの思い上がりの馬鹿解決だ。
誰一人の心も魂も救っていなかったから、平手を食らうのも当然だ」
「・・・・・・」
「平手をくれた女性は僕に言った。すべてが力で救われるんじゃない、ってな。要は気持ちだ」
そしてナットは、ようやくニヤリと笑った。
「お前は、お前に出来る事をやればいい。お嬢さんを本気で護りたいって気持ちがあれば、
何だって乗り切れる。男だろ?」
「ナットさん・・・」
初めてナットから適切な言葉をかけてもらった気がした。意外に良い人なのだろうか、と失礼
ながらセイクはそう思った。
そして小声で、はいと返事を返した。
「・・・あの、最後に一つだけ聞いても、って露骨に嫌な顔をしないで下さい! 貴方にそう言っ
てくれたのは、シスターですか?」
ナットは、やれやれとうんざりした口調で答えた。
「彼女は当時、大教母候補だったエルフリーデ・リックスという女性だ」
「えっ!? それってルーシャのお母」
「質問は一個だけだろ。おやすみ」
「ちょ、ナットさん!」
言うだけ言うと、ナットはさっさとベッドに入り込み、シーツをかぶってしまった。
本当に謎だらけの人だ。つくづくセイクは思った。
夜も更けた。ルーシャもそろそろ落ち着いた頃だと思い、様子を見にセイクは寝室を出た。
「(俺に出来る事・・・か)」
だが、その前に仲間を信頼しよう。
ナット、そしてルーシャを。
ルーシャが言ったように、不安を抱えては前へ出るにも出れない。仲間を信頼し、必ず成功
すると信じ、前へ出ようとセイクは決意を固めた。
「有り難うございます、ナットさん」
きっと本人には聞こえていないだろう。
セイクは静かに寝室のドアを閉めた。
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