Creature

「ナットさん、手分けして捜さないんですか!?」
 宿を後にすると、ナットは二人を街の中心にある噴水まで連れて来て、その場にとどまって
しまった。
 焦るセイクに、またもナットは冷静に答えた。
「この噴水は街全体の水路を通っているだろう。水は魔力の波動を良く通す。こっから黒魔術
の波動を捜すんだ」
 ナットは噴水の水に手を浸して、意識を集中した。
 ルーシャはナットを信じ、その様子を黙って見守っていたが、セイクは変わらず不安げだっ
た。
 噴水の水に手を浸したきり、ナットは微動だにしない。ただ、ポタポタと汗を流し、終始無言の
状態だ。怖いくらい真剣な顔をしているので、ルーシャもセイクも声をかけられなかった。
 時間は刻々と過ぎていく。ルーシャはふと顔を上げると、西の空が橙に染まり、細い三日月
がうっすらと見えた。もう儀式は行われてるのではないか、と不安になった時だった。
「あった、こいつだ!」
 額に汗を浮かばせたナットが叫び、すぐに駆け出した。
 ルーシャとセイクは我に返って、ナットの後を追い掛けた。
 セイクは何も感じなかった。だが、今はナットを信じるしかない。
 人を押しのけ、路地へ入り、人家の生垣を越え、壁をよじ登って屋根を走り・・・。
「何で道を走らないんですか!?」
「この方が近い!」
 こんな事がチャペルの耳に入ったら・・・。もしくはエルフリーデの耳に入ったら・・・。
 確実に大目玉だ、とゾッと思いながら二人は必死にナットを追いかけた。
 ナットは軽やかに二階の高さから空き地へ飛び下りた。ルーシャとセイクは足場になりそうな
場所に下りながら、ようやく地上に着いた。
「ま、まったく・・・貴方、って人はっ・・・!」
 やっとナットに追いついたセイクは、文句の一つでも言おうとしたが、息切れで言葉が続かな
かった。
「あそこだ」
 ナットはセイクを無視し、目の前の建物を指した。
 ポスターが壁に沢山貼られてある、少し古いその建物は、人形の劇場小屋だった。今はシー
ズンでないのか、人の気配は無い。
「急げ」
 そう言って、ナットは再び駆け出した。セイクとルーシャはフラフラになりながら、小走りでナッ
トの後に続いた。





 劇場内は小綺麗だったが、次第に薄暗くなる廊下に、ルーシャは身震いした。セイクも寒気
を覚えるが、これは恐さから来るものではない事を知っていた。黒魔術の波動だ。
 ナットの勘は的中した。これだけの実力を持った男が平の牧師である事に、セイクは疑問を
感じた。
「(あの短時間で、それも噴水の水を利用しただけで場所を捜し当てるなんて・・・。この人、
どれだけの魔力を備えているんだ)」
 そしてホールの扉の前にやって来た。ナットは躊躇もせずに扉を開け放った。
 中のステージの傍に居た青年は、酷く驚いて振り返った。
「・・・テュイ」
 セイクの口から愕然とした言葉が漏れる。
 認めたくなかった現実だ。儀式を行っている人物は、紛れも無いテュイだった。
「セ、セイク・・・」
 テュイも動揺した。セイクにだけは見られたくなかった。
「どうしてこんな事を」
 セイクはテュイに近づいた。ステージにある鍋からは、嫌な気配が漂っている。儀式の最終
段階に違いない。
「まだ遅くない。今すぐ止めるんだ!」
 セイクは思わず駆け出した。
「こ、来ないでくれ!」
 しかし、テュイはナイフを出して威嚇した。セイクは足を止めた。
「見逃してくれ、セイク」
「出来ない。解っているだろう。俺は牧師だ」
「・・・セイク、アメルが死んだんだ」
「アメルが!?」
 テュイはナイフをセイクに向けたまま頷いた。
「難病にかかって、呆気なく・・・な」
 テュイの目的は解った。アメルの蘇生だ。アメルを失ったテュイの心は、痛いほどよく解る。
だが、セイクはそれを止める義務がある。セイクは同情をかき消した。
「アメルを生き返らせるのは生命に対する冒涜だ。それに解っているのか? 君が儀式に使っ
たものは、多くの人の血と肉で創られたものなんだぞ!」
 テュイの顔に驚愕が現れた。知らなかったみたいだ。
 ナットは舌打ちした。つくづく、黒ミサの人の弱みに付け込むやり口には、我慢がならない。
「そ・・・それでも、俺にはアメルが必要なんだ! たった一人の妹なんだ!」
 テュイは持っていた髪の毛の束を鍋に入れ、自分の手のひらを切って血を注いだ。あまりに
も一瞬の出来事で、セイクは止める暇も無かった。
 セイクは再び駆け出したが遅い。重苦しい空気が沸いたと同時に、鍋が勢いよく爆発した。
「きゃあ!」
 鍋の破片が飛び散り、ナットはルーシャを引き寄せて庇った。
 爆煙が薄くなると、ステージに人影が見えた。セイクはわなわなと震え出した。テュイはとう
とう禁忌を犯した。これがとれほど重罪になるか!
「ぅ・・・に、にいさん・・・?」
 か細い声がステージに上がった。テュイの目が輝く。
「ああ、アメル! アメル、俺だよ、解るかい?」
 テュイはステージに上がり、ぐったりした裸体のアメルを見つけ、抱き起こした。
 まさしくアメルだ。
 テュイは震える手で、アメルの顔に張り付いた髪の毛を避けた。柔らかい薄茶の巻き毛、
現れた顔は生前の時のまま美しい。病気でやつれて行った影は無く、唇も肌も血色は良くない
が、目をつぶって自分に抱かれているアメルは、本当に美しかった。
 テュイは感動のあまりに、涙を流した。
「アメル、会いたかった・・・!」
 テュイはアメルの頬にキスをした。
 やがてアメルは目を開け、虚ろな眼差しでテュイを見つめた。
「兄さん・・・兄さん、どうして・・・」
「おい、離れろ!!」
 ナットはテュイに向かって叫んだ。
 アメルは突然テュイの服を強く握り締め、そして言った。
「どうして命をくれなかったのよォォッ!!」
「ひっ!?」
 突如、恐ろしい形相に豹変したアメルが、素早くテュイに噛み付いた。アメルが噛み付いた
テュイの肩から血が噴き出し、そのあまりにも鋭い痛みに、テュイは叫び声を上げた。
「うああぁッ!!」
「テュイ!」
 セイクは駆け出してアメルに体当たりをした。
 アメルはあっさりと突き飛ばされ、まるで全身に関節が無いかのように回転し、床に突っ伏し
た。セイクはテュイを担いで客席の方へ避難させ、彼の血まみれの肩に手をかざし、治癒術を
施した。
「な、何があったの・・・」
 ルーシャは震える身体を必死に抑えた。とんでもない光景を見てしまった。蘇生術で甦った
アメルと言う少女が、突然テュイに噛み付いた。
 その時の表情は、まるで化物だった。
 ナットはルーシャを庇うように前へ出た。


「蘇生術の失敗だ」


 ナットの声には怒気が帯びていた。
 しかし、テュイはすぐにナットに反論し、近づいて来た。
「そんなはずはない! 俺は本の通りにやったんだ! 失敗なんかするか!!」
 ナットはテュイに突きつけられた紙束を弾き、テュイの胸倉を乱暴に掴んだ。
 テュイはナットの形相に、ひっと小さな悲鳴を上げた。
「ナットさん、乱暴はやめて下さい!」
 セイクが止めようとするが、ナットの腕は頑として動かない。
「いいか小僧、蘇生術で一番必要不可欠な素は、決行者の命だ! なのにお前は血を注いだ
だけだ。不充分な力で甦った死者はな、自分は望まれぬ存在だと思って嘆き、あまつさえ・・・
見ろ、化物と成り下がる」
 ナットの視線先に全員が注目した。
 床に突っ伏したアメルは、ゆっくりと四肢を動かして起き上がった。だが、脚や腕はあらぬ
方向に曲がって軋みをあげている。目はカッと見開き、口元はテュイの血で真っ赤だ。肌が白
いだけに、余計にその赤が目立つ。
 アメルの姿を見てテュイは腰を抜かし、セイクとルーシャも息を呑んだ。
「自分の罪を特とその目で見てろ」
 ナットは吐き捨てるようにテュイに言い放った。
「兄さん・・・兄サン・・・血肉、チョウダイ!!」
 まるで全身がバネの如くアメルはステージから跳び上がり、客席の方へ襲い掛かって来た。
「うあああ! アメルーーーッ!!」
「テュイ!」
 半狂乱に叫ぶテュイを抱え、セイクは回避した。ナットもルーシャを抱えて避ける。
 アメルが跳び下りた客席は無惨に破壊された。彼女の首がカラクリのようにグルリと回り、
その瞳がテュイを捕らえた。
 ギシリ、とアメルの身体がテュイの方へ向き直り、それぞれあらぬ方向へ曲がった四肢を床
に這わせてアメルはテュイに迫った。
 そこへ、アメルの頭部にナットの回し蹴りが入った。
「ぐうゥッ!」
 かろうじてテュイはアメルの攻撃から逃れた。アメルは首が曲がったまま跳び上がり、天井
に張り付いた。四肢だけで身体を支えており、髪や身体はダラリと天井から吊り下がっている。
何ともゾッとする光景だ。
「馬鹿野郎!! お前まで腰を抜かして呆けてどうする!」
 ナットはセイクに罵声を浴びせた。セイクは過敏に身体を震わせ、我に返った。
 ナットはアメルを睨みつけた。アメルの傍に魔法陣が浮かぶが、術が発動する前にアメルは
別所へ跳んだ。
「くそ! 動きさえ止まればっ・・・」
 流石のナットでも、術を光速の如く発動させるのは無理だ。アメルは嘲笑うかのように至る
場所へ跳び回った。
 それを見かねたルーシャは、荷物から銃を取り出した。ナットはギョッとした。
「お、お嬢さん、何処でそんな物騒な物を・・・」
「秘密です」
 ルーシャはナットの傍を離れ、アメルに近づいた。アメルの目がルーシャを捕らえ、近くに降り
立った。
 アメルの口元はテュイの肩に噛み付いた時のままで赤く、歯を剥き出してルーシャを威嚇し
た。
「お嬢さん、下がるんだ!」
 ナットが叫んだと同時に、アメルはルーシャに襲い掛かった。
「ルーシャ!」
 必死の思いでセイクは駆け出した。ナットもルーシャの傍へ向かう。
 セイク達が着くよりも早く、アメルの手が届くよりも早く、ルーシャはアメルに向けて引き金を
引いた。
 銃口から水が噴き出し、アメルの顔面を濡らした。しかしアメルの勢いは止まらず、ルーシャ
は横に反れて攻撃をかわした。
 アメルはそのまま床に突っ込み、そして急にもがき出した。
「キ・・・キイィィッ!!」
 アメルは奇怪な叫び声をあげた。身体はシューシューと音を立てて焼け爛れている。
「やった、効いた!」
 ルーシャはグッと拳を握った。
 アメルは爪を立てて肌を掻きむしった。ボロボロと皮膚が崩れ落ち、アメルはいっそう悲痛な
叫びを上げた。
「聖水か」
 ナットが呟いた。これでアメルの動きは抑えられた。
「包み込むは神の息吹! 聖、光の契りを結べ。名を捧げる。我が名は、ハイリゲンクロス!」
 ナットが浄化魔法を唱えた。魔方陣が浮かび上がり、光がアメルの身体を包んだ。
「イ・・・イヤ、ダ。身体ガ・・・カラダガーーーッ! ニイ・・・サ・・・!」
「ア、アメルーーーッ!!」
 テュイはアメルの手を取った。しかしボロリと崩れ、霞となった。
 アメルはテュイの目の前で、徐々に形が崩れて行った。美しかった姿はそこには無く、顔の
皮膚が無くなり、筋肉が見え、そしてその筋肉も消え、骨となり・・・。骨もまた霞となって消え
た。
 テュイは狂ったように泣き叫んだ。
「アメルっ・・・ああぁ・・・アメル! 俺は・・・俺はぁっ・・・」
 魔法陣が消え、アメルの姿も消えた。何一つ残らず。
「テュイ・・・」
 膝をついて泣き叫ぶテュイに、セイクが近づいたその時、劇場の扉が荒々しく開かれた。
「げっ」
 ナットはあからさまに嫌な顔をした。
「黒魔術の波動がしたもので見に来れば、事は既に片付いたみたいだな」
 中心に六芒星と碧色の宝石をはめた銀の十字架を身につけた男が言った。サーマイ・チャ
ペルの『六芒聖士団』の一人、フォルヌ・ノレイとその他エリート牧師の登場だった。
「よく言うぜ。都合良く終わった頃に来やがって」
 ナットは小声で悪態をついた。
 白い制服のエリート牧師達は、問答無用でセイクを退けてテュイを拘束した。
「ま、待って下さい!」
「彼にはしかるべき裁判を受けてもらう。君達も参考人として同行を命ずる」
 フォルヌはセイクの言葉に耳を貸さず、命令した。冗談じゃない、とナットは呟いた。
 すると、ルーシャが棒の束を床に投げた。
「ナットさん、あれに点火して下さい」
 ナットは躊躇もせずに魔術で棒に点火した。すると棒の束が爆発し、四方八方に火花を散ら
して、煙を起たせた。
 パンッ、パンッと破裂音が鳴り響き、飛び散る火花にフォルヌ達は動揺し、すぐには動けなか
った。
「な、何だ、くそっ」
 視界は煙で曇り、火薬の臭いが目に沁みた。
 その隙に、ナットはルーシャとセイクの手を引いて、素早く劇場から逃亡した。
「ま、待てっ・・・ゴホゴホ! くっ、し・・・処罰するぞ!」
 フォルヌは叫ぶが、ナット達がその命令に従うはずもなかった。