Pass away
ナットはメーアが話していた倉庫にやって来た。下級の牧師でも解るくらい、黒魔術の波動が
漂っている。
「畜生、一人くらい牧師を連れて行けばいいものを・・・」
ナットは悪態をつきながら馬から降り、倉庫へ入った。
異臭が鼻を刺す。血の臭いだ。慎重に奥へ進むが、人の気配は無い。
「(波動はビンビンに感じるのに、まったく気配がしない。・・・罠か?)」
罠でもいい。今はレオの生死が問題だ。
収納室まで来ると、血の臭いが酷くなり、肌がピリピリするほど魔力を感じて来た。魔術を
使えない者には、これを感じる事は出来ない。
初めから無謀だったのだ。術者でない警察機構だけで此処に来るなどと。
ナットは魔術でドアを含む壁を破壊した。爆発が起こり、無惨に壁が破壊されるが、中からは
反応が無かった。ナットは躊躇せずに進入した。
収納室には魔法陣は無く、メーアが言っていた化物も居なかった。あるのはバラバラになっ
た警察機構の死体だけだ。ナットは顔を歪ませた。
「やっと来たか、ナサニエル・ハイリゲンクロス」
聞き覚えがある声が、暗がりから上がった。
声の主がナットに歩み寄り、窓から射し込む光に当たって姿を現した。
長い金髪、まるで死体のように白い肌。黒ミサ組織『エボス』の主導者、ネオだ。
ナットはネオと対峙するが、周りにも注意した。敵が一人とは限らない。
「残った警察の連中はどうした」
「殺した」
ナットの問いに、間髪入れずにネオは答えた。ナットの顔が強張る。
「・・・禁忌を起こしまくっているみたいだな」
「だったら?」
ナットは拳を握り締めた。
「その綺麗に澄ました顔をぶん殴らせろ!!」
ネオから魔術を喰らうのを承知で、ナットは正面からネオに掛かった。
あと少しで拳がネオに届こうとした時、空を斬るような音がし、ナットは反射的に床を蹴って
飛びのいた。
「くっ」
髪が少し切られたが、他に傷は無かった。
体勢を直すと、例の化物がいつの間にかネオの傍に現れていた。
化物からは、生きたまま闇の錬金術にかけられた人々の苦痛の叫びが聞こえた。女、男、
子供・・・無差別に『エボス』に拉致られ、様々な怨念を呼び寄せる黒魔術と共に融合されたに
違いない。
ナットはもう我慢の限界であった。
「貴様ッ・・・何をしたか解っているのか!!」
しかし、ネオは無表情のままだ。
鼻でナットをあしらい、ネオは見下すように言った。
「禁忌がどうした。今の私にあるのは破壊の心のみ。私は創りかえるのだ。愚かな人間共を
滅し、己が望むままの世界に」
「馬鹿らしい。神になったつもりか?」
「そうだ。私は神になる」
途端、ナットの怒りは急に萎えた。ある種、この気持ちは呆れに近い。
「(生前と似た事を言いやがる・・・)」
もしや、ネオに少しは生前の記憶があるのではないか、とナットは期待した。
記憶が少しでもあれば、状況も変わる。
「イライア・・・」
そう呼び掛けた瞬間、ナットは勢いよくネオの魔力に弾かれ、壁に激しく打ち付けられた。
「その名を口にするな。吐き気がする・・・!」
憎悪を込めてネオは言い放った。ナットは軽く嘔吐し、ネオを睨んだ。
「やっぱそう・・・世の中、甘くないか・・・イテテ」
口内を結構切った。血の味がする。
悠長にしている場合ではない。化物が鎌を振り回して襲い掛かって来た。
避けようとしたが、いつの間にか足元に魔方陣が浮かび上がっており、身動きが封じられて
いた。
視線をネオに向けると、彼が魔術を発動させていた。化物はナットに容赦無く歩み寄って
来る。
「これで終わりだ!」
「終わらせんな、僕の人生」
ナットは強く念じた。白い光を放つ魔方陣が迫り来る化物の足元に現われ、化物を一瞬に
して浄化した。余程の高い魔力でなければ、こうもあの巨体を瞬時に浄化出来るはずが無い。
それを理解しているネオは、思わず驚愕の声を上げてしまった。
「なっ・・・!?」
その光景に呆気にとられているネオに向けて、ナットは魔術を放った。
「ぐあッ!」
さっきのナット同様、ネオは壁に打ち付けられ、その拍子で魔術の集中が途切れてしまい、
ナットを束縛していた魔法陣は消えた。
「き、貴様、魔法陣の紋を所有してないのに、どうして魔術を使える!?」
「そりゃ、僕が天才だからだ」
余裕の表情のナットに、ネオは怒りで顔を歪めた。
ナットは床に膝をついたネオに近づいた。打ち所が悪かったのか、ネオはまだ起き上がれ
ないようだ。
彼を浄化するなら今だ、とナットの頭の中に警告が鳴る。だが、ナットはそれが出来なかっ
た。自分でも甘いと思う。
だが、ナットはいつでも魔術が発動出来るよう、心構えていた。
お互いの距離が随分と近くなった。手を伸ばせば、ナットはネオに触れられる。
「イライアス、もう在るべき場所に還れ。そして今度こそ」
「その名を・・・その名を呼ぶなああッ!!」
突然ネオは、凄まじい形相でナットに襲い掛かった。手に隠していたナイフを握り、ナットを
押し倒して振りかざした。
「貴様の存在は邪魔だ!! 死ねぇ!!」
「ッ!!」
ナットは首を押さえつけるネオの手を振り払おうとしたが、物凄い力でびくともしない。ナイフ
は間近に迫って来る。
思わずナットは魔術を使うのも忘れ、目を閉じてしまった。
しかし、なかなか激痛が襲って来なかった。ナットは恐る恐る目を開けると、鋭く光るナイフが
目の前にあり、一瞬怯んだ。
ナイフは酷く震えていた。ナイフを握るネオの手が、大袈裟なくらい震えているのだ。
「くっ・・・何故だ!! 何故っ・・・」
ネオは再びナイフを振り下ろすが、やはりナットに突き刺す事は出来なかった。ナットも驚い
た。
「何故・・・うっ」
ネオはナットの上から転がるように降り、床に突っ伏して激しく嘔吐した。
「イ、イライアス・・・?」
記憶が無くても、過去にナットと関わったという本能のようなものが、彼にあるのだろうか。
ナットは真っ青になって嘔吐を繰り返すネオの姿に、何も出来なくなった。
ネオを浄化しなくては。だが、出来ない。
そのためらいの所為で、さっき殺されかけたではないか。
ナットは何度も自分に言い聞かせた。
頭では、ネオはイライアスではないと解っている『つもり』だ。しかし、いざ浄化しようとすると、
身体が拒む。
「・・・くそっ」
ナットが葛藤しているところへ、物陰から何者かが飛び出し、両手を広げてナットの前に立ち
はだかった。
「えっ?」
「この方を殺さないで! お願い!」
怯えた顔をした少女だった。全身を震わせながらも、目はナットを鋭く睨みつけている。
「なっ・・・」
動揺しているのはナットだけではなかった。ネオもそうだった。
「イリィ・・・貴様、どうして此処に・・・」
「ネオ様、お、お逃げ下さい!」
ネオはユラリと立ち上がり、片手を上げた。
そしてその手を大きく振り、ネオはイリィの顔を思い切り手の甲で叩いた。
「きゃあ!」
「!? おいッ」
ナットは床に倒れ伏したイリィを庇った。
ネオは無情にも、イリィに冷たく言い放った。
「人間ごときが、この私の庇い立てなどするな!!」
「っこ、の・・・!」
ナットがネオに殴りかかろうとした時、突然近くにあったドアが開き、黒に近い赤色のローブを
着た五人の人間が飛び出して来た。
そのうちの一人が手に短剣を握り、ネオに襲い掛かった。
「!?」
突然の事でネオも正確な判断が出来ず、肩越しに振り返ったまま静止してしまった。
そして、苦痛の声が収納室に響いた。
ナットも固まったまま動けなかった。ローブの人物は短剣を相手に突き刺し、そして血がボタ
ボタと流れ落ち、床を赤く汚した。
短剣は、イリィの腹部に深く突き刺さっていた。
「うっ・・・ッ、ネオ、さ・・・」
イリィはうなだれ、血を吐いた。その傍で彼女に突き飛ばされたネオが、目を丸くしていた。
ローブの人物は短剣を慌てて抜き、動揺した。他のローブの人物達も困惑し、身じろいだ。
短剣を抜かれたイリィの身体は弛緩し、崩れ落ちたところをネオが抱き止めた。
ネオの顔は次第に険しくなり、そして素早くイリィを殺したローブの人物の頭を鷲掴んだ。
「ひっ。き、教祖様あぁーーーッ!!」
ネオの魔術をまともに喰らい、相手は一瞬にして塵と化してしまった。
ネオは汚らわしいモノでも振り払うように、手にこびりついた『人間』であった塵を払い、視線
をイリィに向けた。顔は険しいままだ。
イリィは、ほんの少し眉をひそめたまま目をつぶり、もう息をしていない。
「・・・・・・」
無言でネオはイリィを両腕で抱き上げ、足元に転移の魔法陣を描き、姿を消した。
ナットはその様子を唖然と見ていた。そして、ふと我に返ると、足元に転移法陣が浮かび
上がっていた。
「拙いっ!」
避けようとしたが身体が動かない。ローブの集団がカードに描かれた魔法陣の紋をかかげ、
ナットを拘束していた。
ナットは魔術を使おうとしたが、駄目だった。いつの間にか魔封じもされていた。
集団の主導者らしき人物が転移の紋に力を注ぎ、成す術も無いままナットは消え去った。
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