Traitor

 午後。
 ナーブサを発ったルーシャ達は、セルネニアに到着した。朝一の汽車で来たが、汽車が鈍行
のために半日もかかってしまった。
「久しぶりだなー」
 ルーシャはセルネニア・チャペルを見上げ、懐かしげに笑った。そして早く母の元へ行き、
無事を知らせたかった。
 ナットはルーシャとセイクに言った。
「僕は大司教様と話して来る。密談だから、君達は遠慮してくれ」
「解りました」
 セイクは素直に返した。ルーシャは母を優先にしているため、密談の事はどうでも良かった。
「じゃ、後で」
 ナットは軽く手を振り、参拝者に混じってチャペルへ入った。
「セイク、早く母さんのとこに行こ」
「前は嫌がってたじゃないか」
 セイクは苦笑した。
「あの時は、確実に怒られると思ってたんだもの」
 ルーシャはセイクの手を引いて、受付へ向かい、面会の手続きをした。
 親子だというのに、チャペル内では気軽に会えない立場に居る母を、ルーシャは少し寂しく
思う反面、誇らしく思っていた。
 大教母エルフリーデは、以前に会った時とは打って変わって、満面の笑顔でルーシャを迎え
てくれた。
「お帰りなさい、ルーシャ、セイク。無事で何よりだわ」
「ただいま、母さん」
「ただ今戻りました」
 エルフリーデはルーシャと抱き合い、セイクの肩も優しく叩いた。
 この場にナットが居ない事を、エルフリーデは気にしていない様子だった。ナットの所在を
聞かれなかったため、ルーシャも何も言わなかった。
「セイク、後でご両親に連絡しておきなさい。心配していらしたわよ」
「はい、解りました」
「それから、ルーシャ」
「はい」
「『六芒聖士団』の前では、あまり派手な事をしないように。サーマイからしっかり不審者として
連絡が来たわ。名前は出ていないけど」
「あ・・・ハイ」
 何も総本部に連絡しなくてもいいのに、とルーシャはサーマイの士団員(名は忘れた)を思い
出し、内心毒づいた。
「本当はゆっくり話したいけど、そうも行かないのよ。このところ、報告書が多くて・・・」
 エルフリーデは溜め息混じりに言った。
「珍しい。母さんが書類を溜め込むなんて」
「サボっていた訳じゃないわ。事件が多すぎるのよ。処理が間に合わないほどに」
 そのほとんどが黒ミサではなく、一般人絡みの黒魔術の事件だった。エルフリーデは、その
事は伏せておいた。
「それじゃあ、仕事に差し支える前に、俺達は失礼します」
「ええ、ごめんなさいね。それから、ヒアンス牧師にも挨拶に行きなさい。彼の情報で貴方達は
動けているのだから」
「はーい」
 エルフリーデにちゃんと会釈をして、ルーシャ達は部屋を出た。
 部屋を出てから、ルーシャはセイクに尋ねた。
「・・・ヒアンス牧師って、誰だっけ?」
「情報部責任者の方だろ。お世話になったじゃないか」
 呆れ果てたセイクに、ルーシャはごめん、忘れてた、と小さく返した。





                              





 同刻、大司教クレイズの執務室。
「やはり裏切り者ですか・・・」
「はい。偶然とは言い難い『エボス』との接触、それも四回です。ルーシャ達と行動すれば、僕も
単なる保護者と見られ、調査も楽になると思ったのですが・・・。あの子達の任務が知られた
可能性が、あるかも知れません」
 ナットは顔をしかめた。クレイズの顔も深刻だ。
「チャペルに裏切り者が居る。哀しい事です」
「事実は受け止めなければなりません、大司教様」
 ナットの言葉に、クレイズは力無く頷いた。
 クレイズはナットに尋ねた。
「これから、どうするのですか?」
「しばらく様子を見ます。次に出発する時は、あの子達を置いて行くかも知れません」
「その方が賢明ですね」
 しかし、ルーシャはきっと納得しないだろうな、とナットは思った。
 あの頑固さは誰に似たのやら、と小さく溜め息をついたのだった。





                              





「チャペル広すぎ!」
 あまりの広さに、情報部までの移動が一苦労で、ルーシャは思わず文句を言った。
「本部の中の本部だからね、此処は」
 セイクは冷静に返した。
 本来二人は当チャペルの所属でないため、此処の造りには不慣れだった。そのため、ヒアン
スの仕事場である情報部に着くまで、大分時間がかかってしまった。
「失礼します」
 セイクは部屋のドアをノックし、情報部の中へ入った。相変わらず床も棚も書類の山だった。
地震が起きたら、確実に書類の雪崩が起きるだろう。
「ヒアンス牧師、いらっしゃいますか?」
 返事は無い。ルーシャは更に奥にあるヒアンスの自室をノックした。
「・・・居ないのかな」
 返事が無かった。聞こえてないのかと思い、ルーシャはドアを開けてみた。こざっぱりした部
屋だが、やはり此処も机の書類の量が凄かった。
「ヒアンス牧師、書類に埋もれて死ねたら本望かしら」
「かもね。居ないようだし、出直そうか」
 諦めて出ようとした時、ルーシャの目に机の書類の文字が飛び込んで来た。
 『ナサニエル・ハイリゲンクロス』という文字だ。
「これ・・・!?」
「どうかした?」
「セイク、これ見て!」
 ルーシャは書類を鷲掴んだ。分厚い書類は、すべてナサニエル、もといナットの過去の経歴
が事細かに書かれていた。
「ヒアンス牧師は、ナットさんの正体を知っているのよ!」
 ルーシャはナットから、彼の正体を知る人物の名を一通り聞いた。その中に、ヒアンスの名は
無かったはずだ。
 セイクも動揺した。
「で、でも、どうして・・・」
「ねえ、セイク、おかしくない? 考えたら私達、何回か旅先で『エボス』に出くわしたよね」
 セイクは頷いた。
「俺も偶然じゃないと思ってる」
「私達は報告書の通りに移動したわ。その報告書は、誰から受け取った?」
「・・・・・・ヒアンス牧師だ」
 セイクの顔から血の気が引いた。
「あの人は『エボス』よ」
 ルーシャは書類を持って部屋を飛び出した。セイクも後を追う。
「セイクはナットさんを捜して、これを渡して。母さんでもいいわ」
 ルーシャは走りながらセイクに書類を渡した。これは証拠品になる。
「君はどうする!?」
「私はヒアンス牧師を捜す! 後でねっ」
「な、駄目だルーシャ! ルーシャ!」
 セイクが止めるのも聞かず、ルーシャは別行動を取った。
 足の速さでは、ルーシャに追いつけない。セイクは散々どうしようかと迷ったあげく、小さく舌
打ちをして、確実に会えるエルフリーデの元へ走った。
 ルーシャは近くに居るシスターや牧師にヒアンスを尋ね、やっと五人目のシスターから居場所
を聞き出せた。
「ヒアンス牧師なら、お客様と一緒でしたよ」
「お客様?」
「ええ。背が高くて長髪で、目つきが怖い男性と中庭の方に」
「っ・・・父さん!?」
 ルーシャはすぐさま駆け出した。多分、客人はナットだ。ナットはヒアンスが『エボス』だと知ら
ない。
 自分の足が速い事にルーシャは感謝した。全速力で走って中庭に着くと、血眼になってヒア
ンスを捜した。
 セルネニア・チャペルは庭も広すぎだが見晴らしはいい。そのお陰で、すぐに池の傍に居る
ヒアンスとナットの姿を見つける事が出来た。
「父さんっ」
 二人はルーシャに気付いていない。ヒアンスの手が池を眺めるナットの背に触れようとして
いた。
「っ! 父さんから・・・離れろ!!」
 ルーシャは無我夢中になって、ヒアンスに体当たりをした。
「ぅおわあ!?」
 突然の事で成す術も無く、ヒアンスは池に落下した。
 水飛沫が上がり、ナットも目を丸くして驚いた。
「ル、ルーシャ!? 何を」
「父さん、この人は『エボス』よ!」
「・・・・・・は?」
 ヒアンスは池から顔を出すと、咳き込んでルーシャに叫んだ。
「シ、シスター・ル、ゲホゲホ! 何をゲホッ、するんですか!?」
「うるさいわよ! 貴方、この人がナサニエル・ハイリゲンクロスだって事を知ってるわよね!?
 ごまかしても駄目よ。
情報部でその書類を見たんだから!」
 途端、ヒアンスは顔を強張らせ、ナットも警戒の色を見せた。
「あ、あれを・・・見てしまいましたか・・・」
 ナットはルーシャを引き寄せ、ヒアンスから遠ざけた。
 ヒアンスは池から這い上がると、濡れた髪を掻き上げ、ルーシャに言った。
「しかしシスター・ルーシャ、人の物を勝手に見るのは感心しませんよ」
 いつものヒアンスの口調だった。
 どうしてこんな状況で、こうも冷静でいられるのか。
 余裕か、それともまだ何か企んでいるのか。
 どちらにせよ、ルーシャを苛立たせているには変わり無かった。
「貴方こそ、人の事を色々と嗅ぎ回っているじゃないの」
「ま、まあ・・・そうですが」
 そこへ。
「ルーシャ!」
 チャペルからセイクとエルフリーデが、血相を変えて駆けて来た。エルフリーデを見るなり、
ナットの顔に気拙さが現れた。
 そんなナットを他所に、エルフリーデはヒアンスに厳しく詰め寄った。
「ヒアンス牧師、おおよその事情はセイクから聞きました」
 エルフリーデは息を切らせながら言い、ヒアンスに書類を突きつけた。ナットの過去について
の書類だ。
「あーッ! そ、それ!?」
 ヒアンスは書類を奪い取ろうとしたが、セイクによって前を塞がれた。
 ナットも自分の情報の書類、と言うよりはその量の多さに、「うげっ」と顔を歪ませた。
「ヒアンス牧師、どういう事か説明しなさい。場合によっては・・・」
「もも申し訳ありません!!」
 ヒアンスは突然その場で土下座をした。これには全員が面食らった。
「随分と腰の低い『エボス』ね・・・」
 ルーシャも拍子抜けになった。
「話してくれますね? ヒアンス牧師」
 エルフリーデはきつい口調で言った。
 昔、こんな口調でよく叱られたものだ、とルーシャとナットは身震いした。
 逃げ道が無いと思ったのか、エルフリーデが怖いのか、ヒアンスは土下座したまま素直に
白状し出した。
「す、すべて告白します。知ってのとおり、私は情報部の者です。現場に出向く牧師と違い、黒
ミサと対立しなければ、魔術もろくに使えない存在です」
「自己の解説なんか要らないわよ」
 苛立たしく言うルーシャを、ナットが制した。
 ヒアンスは続けた。
「情報部の者は危険な目に遭う事があまり無いため、現場の牧師からは皮肉三昧、地味な
加害多数で・・・」
「(・・・虐められっ子?)」
 ヒアンスを除く全員がそう思った。
「そ、そうとは知りませんでした。ですが、だからと言って」
「解っております、大教母様。自分がやった行為は許されない事だと」
「当たり前よ!」
 ルーシャは顔を真っ赤にして怒鳴った。解っててやったと言うのが、一番許しがたい。
「すみませんっ。でも、ナットさんは私の恩人なのです。どうしても」
「ち、ちょっと待って下さい」
 突然セイクが割って入った。ルーシャが怪訝な顔をする。
「何よ、セイク」
「いや・・・何か話がおかしくなっているような・・・」
 セイクは改めてヒアンスに尋ねた。
「ヒアンス牧師、何故ナットさんの事を調べたのですか?」
「え、知りたかったからに決まってるじゃないですか」
「『エボス』のお偉方に言われてか?」
 ナットがしかめっ面で言うと、ヒアンスは呆けた顔をした。
「『エボス』? 誰がです?」
「あんただよ!!」
 ルーシャとナットがほぼ同時に怒鳴った。二人のその姿が妙に似ている、とセイクは思った。
 ヒアンスは立ち上がって、断固否定した。
「そんなとんでもない! 何で私が」
「ナットさんの事を調べてたでしょ!?」
 ルーシャが言い返す。
 ヒアンスは口ごもった。
「そ、それはその、個人的な事で・・・」
「何それ」
「は、はあ・・・ですから」





 さかのぼる事、十年。
 牧師が情報部に訪れる度に、ヒアンスは皮肉を言われ続けていた。
『情報部は常にチャペルに居られて、羨ましいものだな』
 こんなのは日常茶飯事で、もはや言い返す事も億劫になって来ていた。
 しかしそこへ。
『不満があるならチャペルを去れ。お前達が難無く仕事をこなせるのは、誰の協力が
あっての事だ』
 目つきの鋭い男性が、そう一喝したのだった。





「・・・で、それが父さ、ナットさん?」
「はい!」
 ヒアンスは目を輝かせて、大きく頷いた。
 そしてヒアンスは拳を握り締め、熱弁し出した。
「情報部生涯で初めて有り難いお言葉を頂いた瞬間でした! ナットさんは私の恩人、いや
それ以上の存在です! 貴方は性根が腐りかけていた私を救ってくれたのです!! で、悪い
とは思ったのですが、ナットさんの事が知りたく、つい調べてしまいました」
「ていうか・・・別の方向に腐り出していない?」
 ルーシャの毒舌に、ナットも顔を引きつらせて頷いた。
 エルフリーデも溜め息混じりに尋ねた。
「では、『エボス』とは関係無いのですね?」
「はい、ナットさんに誓って!」
「僕に誓わんでいい」
 結局勘違いだったが、誰もルーシャとセイクを責めなかった。
 此処、セルネニア・チャペルの情報部は、各チャペルよりも優れた実力を誇れる場所。そして
その技能は、黒ミサ解決のために使われるものだ。
 それを、いくら何でも私情で他人の個人情報を探るとは、言語道断である。
 エルフリーデがその事でヒアンスを咎めようと口を開きかけた時、シスターが声を上げて現れ
た。
「大教母さま!」
「何です、騒々しいですよ」
「も、申し訳ありません。あの、至急受付に来て下さい。大変な事が・・・」
 エルフリーデは、深く深く溜め息をついた。
「次から次へと・・・。ヒアンス牧師、貴方の処分は後程決めます」
「は、はい」
 それだけ言うと、エルフリーデはシスターと受付へ向かった。
 残された三人だったが・・・。
「セイク」
「坊主」
 ナットのその呼び名にも慣れたが、苛立たない訳ではなかった。
 セイクは嫌な顔をして、ルーシャとナットを見た。
「な、何ですか・・・二人して・・・」
 そして二人は、
「後はよろしく」
 と、声を揃えてエルフリーデの後を追い掛けたのだった。
「ちょっ、ちょっ・・・!?」
 ずぶ濡れたヒアンスと残されたセイクは、止めようとした手をむなしく下ろしたのだった。
 行動を起こしたあの二人は、もう何を言っても止める事など出来ない。
 最近になってセイクは、その事を学習したのだった。