Scapegoat
アガラナに『エボス』が出現した。再び遭遇するのを避けるため、ナット達は夜明けと共に
アガラナを出発した。気分はまるで夜逃げだ、とナットは大欠伸をしながら呟いた。
汽車に乗った途端、ルーシャはすぐに眠り、流石にセイクもその横で眠った。ナットも眠気は
あったが、とても眠れる心境ではなかった。
「(何故連中は僕の居場所が解った・・・)」
偶然か、それとも・・・。
「(裏切り者が意外と近くに居るのかなあ)」
と、呑気そうにナットはもう一度欠伸をした。
幸いなのは、連中がナットの顔を知らない事だ。その所為で、セイクはえらい目に遭いそうに
なったが。
汽車が大きく揺れた拍子に、ルーシャは目が覚めてしまった。彼女の不機嫌そうに目を擦る
姿を見て、ナットは思わず微笑ってしまった。
「起きちゃったかい?」
「ん〜ハイ・・・」
ルーシャは覚束ない口調で答えた。
意識が少しずつ覚醒して来ると、ルーシャはポツリと言葉を発した。
「・・・そういえば」
「ん?」
「前から気になってたんですけど、ナットさんて魔法陣を持ってないですよね?」
魔術を使うには魔法陣が必要だ。その場で描くのもありだが、セイクのようにグローブに陣を
刺繍して所有する方法もある。
しかし、ナットは魔法陣を所有していない。本来なら魔術を使えないはずだ。
ああ、とナットは子供のように微笑った。
「お嬢さんにだけ教えてあげるよ。僕は特異体質でね、イメージするだけで好きな場所に魔法
陣を出せるんだ」
これにはルーシャも驚いた。半分寝惚けていた意識が吹き飛んだほどだ。
「えっ。嘘、凄い! 今まで聞いた事無いですよ、そんなの」
「(そりゃそうだろな)」
ナットも別に生れつきでこの能力を得た訳ではない。とある事故の偶然の産物なのだ。事故
の事は、あまりにも格好悪過ぎる出来事なので、ナットは自分の胸に閉まっておいた。
そんな事は知らずに、ルーシャは無邪気にナットの特異体質を羨んでいた。
やがて三人を乗せた汽車は、サーマイに到着した。
元々サーマイに来る予定は無く、今後の事を話し合うために、三人は喫茶店に入った。まだ
朝が早いので、店内には誰も居なかった。セイクはコーヒーを、ルーシャとナットはココアを
注文した。
「本当はガワーに行きたかったんだけどな」
ナットは地図を開いて、ガワーの都市をトントンと指で叩いた。ガワー方面の汽車は、あの
時刻ではアガラナから出ていなかったのだ。やむなく行き着いたのが此処、サーマイだ。
「戻りますか?」
「いや、時間の無駄になる。ガワーはいったん諦め」
ナットは、セルネニア・チャペルの情報部責任者ヒアンスから貰った資料のガワーの欄に、
保留と書き込んだ。
「が、なるべく早めに此処を発ちたいな」
ナットは憂鬱そうに言った。実を言えば、サーマイには『六芒聖士団』の一人が居る。団員の
居るチャペルは何かとうるさいのだ。自分達のように平の牧師、ましてやシスターが『エボス』の 事でコソコソと調査しているなどと彼らの耳に入れば、絶対に面倒な事になる。
「汽車の時刻を聞いてきます」
「頼んだよ」
ナットは手を軽く振ってセイクに応じた。
セイクはカウンターで時刻表を貰い、席に戻ろうとした時、丁度店に入って来た客に気付い
た。その客に見覚えがあったのだ。
「あ・・・テュイ、テュイ・ローアだろ」
セイクに声をかけられた青年は、過剰に反応した。
「えっ・・・あ、セ、セイクかい!? ど、どうして此処に」
「仕事、みたいなものかな。久しぶりだな。卒業以来だ」
「ああ・・・そう、だな」
テュイはセイクに対して狼狽しているようだった。いや、むしろセイクが着ている牧師の制服
に対してだ。
「どうしたんだ、テュイ?」
テュイはセイクの訝しげな視線に気付くと、慌てて目を反らした。
「な、何でもないよ。じ、じゃあ俺・・・待ち合わせしてるから」
「ああ、ごめん。またな」
テュイは逃げるように奥の席へ向かった。セイクは何処か具合が悪そうに見えるテュイを
心配しつつ、自分も席へ戻った。
「知り合い?」
席に着くと、ルーシャが聞いて来た。
「うん、スクール時代の友達だよ。ナットさん、時刻表ですけど」
「やっぱ移動は少し待とう」
「え?」
ナットは無言で、いつの間に取って来たのか、喫茶店にあった新聞のある記事をセイクと
ルーシャに見せた。記事にはこう書かれてあった。
『行方不明の男女数人が昨夜遺体となって発見。遺体はすべて臓器、骨、皮膚と分けられ、
警察は猟奇殺人と・・・』
その事件は、ルーシャ達が『エボス』と関わる切っ掛けとなった事件に似ていた。
「また死者の蘇生が行われる可能性があるな」
ナットは顔をしかめて言った。ルーシャの表情にも、不安の色が現れる。
しかも事件が起きたのは此処、サーマイだ。資料に載っていない場所にまで、『エボス』の
手が伸びている。こちらが思っている以上に、『エボス』は動き出しているみたいだ。
「宿を探そう。クレイズ大司教に手紙を出さなくちゃな」
また一波乱が来る予感がした。
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『おじーちゃんえ。おげんきですか。わたしはいつもげんきです』
「・・・って何ですか、この幼稚な文章は!」
ナットが書いた大司教宛の手紙を見て、セイクは大いに不満をぶつけた。
「偽の文章さ。手紙を水に浸ければ、本物の文章が浮き出る仕組みだ」
ナットは涼しい顔で答え、ルーシャはその特殊なインクに感嘆した。自分も作れるだろうか、
などと思案している。
「凄いですねー。でも、何でわざわざ」
「嫌な事だが、裏切り者に読まれないためにだよ、お嬢さん」
ナットは本気だった。ルーシャはやはりショックを受けた。ナットが言う事には、根拠は無いが
説得力はある。チャペルに裏切り者が居るなど、考えたくもないが・・・。
ルーシャは気を取り直して、自分も母宛に手紙を書いた。母エルフリーデは元気だろうか。
ナットに言われ、自分が今居る場所や、自分の周りで起きた事は一切書き記さないように
して、ルーシャは手紙を書いて行った。
とりあえず、今自分が元気である事を伝えればいいだろう。その結果、あまりにも短い手紙に
なってしまった。まあ、仕方がない。
それぞれ手紙を書き終えると、ルーシャは買い物ついでに手紙を出して来ると言った。
「一人で平気?」
「子供扱いしないでよ、セイク」
「(何を買うのか心配なんだよ・・・)」
あえて口にはしなかった。ルーシャは無駄遣いはしないが、妙な物を必ず購入する。
「じゃ、行って来まーす」
ルーシャは宿を出ると、さっさとポストに手紙を出して、雑貨屋へ向かった。
雑貨屋では、季節外れの花火が処分のために安く売られており、ルーシャは迷う事無く手に
取った。
「あ、アルコールが残り少なかったな」
あれが無いと調合もろくに出来ない。
アルコールランプ用のアルコールを探して棚ばかり見ていたら、誰かとぶつかってしまった。
「わっ」
ぶつかった拍子に、床に何か落ちる物音がした。店の商品だと拙い、とルーシャは瞬時に
思った。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ・・・」
ぶつかった相手を見ると、それは喫茶店で見たセイクの友人だった。
少し驚きながら、ルーシャは床に転がった小瓶を拾った。
「(あれ? この瓶・・・)」
見覚えがあるような気がした。
「あ、あの・・・その小瓶、俺のです」
「え? あ、すみません」
店の物ではなかったらしい。ルーシャは慌てて小瓶を渡すと、彼は軽く会釈をして、小さな鍋
を抱えて去って行った。
「あの瓶、確か・・・」
間違いない、とルーシャは確信した。そして、手早く買い物を済ませた。
そして、買い物を終えたルーシャは、怒涛のように宿に戻って来た。
「おかえ」
「それどころじゃないよ! さっきセイクの友達に会ったんだけど、名前っ・・・名前何だっけ?
とにかくその人が」
「まあ落ち着きなよ、お嬢さん」
ナットがルーシャを優しく誘導して椅子に座らせ、セイクが飲もうとした紅茶を出した。セイク
は、あっと声を上げるが誰も気にも留めなかった。
「で、どうしたんだい」
「はい、えっと・・・喫茶店で会ったセイクの友達なんだけど」
「テュイが?」
「うん。あのね、悪気がある訳じゃないからね。彼、もしかしたら・・・黒ミサ、かも知れない」
案の定、セイクの顔から温厚の字が消えた。
「嘘だ」
セイクは低い声で言った。
ルーシャは少したじろいだ。
「嘘だ。ルーシャ、一体何を根拠に」
「待てよ、少年。お嬢さん、話してごらん」
ナットが熱くなったセイクを制し、ルーシャに話させた。
ルーシャはセイクの視線を気にしながら続けた。
テュイが持っていた小瓶が、以前セルネニアで起きた儀式に使われた物と同じである事と、
鍋も購入していた事・・・。きっとあの鍋は、セルネニアで見た儀式のように、死者の蘇生に
使われるのではないかとルーシャは言った。
「・・・それだけかい?」
だが、セイクは心底呆れた顔でルーシャを見た。
「鍋なんて普通に買うだろ」
「だから、儀式に使うかも知れないじゃない」
ルーシャはムッとして言い返した。
ふむ、とナットは呟いた。
「お嬢さんの言い分は一理あるな。どんな鍋だ」
「え? あの、黒い鉄製ですけど・・・」
「それが何か?」
セイクは小馬鹿にするような目をナットに向け、問いた。
「鉄には魔力を高める効果がある。特に黒魔術をな。新品だと尚の事、効果を発揮する」
真顔で答えたナットに、大いにセイクは動揺した。
ルーシャはセイクに気付かれないように、こっそりとナットに尋ねた。
「本当ですか?」
「立派な大嘘だよ。でも、調べる必要があるのは確かだ」
後はセイクをどう説得するかの問題なのだが・・・。
「(正直坊主が居なくても別にいいんだけどな)」
と、ナットは思っていたが、ルーシャが先にセイクを説得し始めた。
「ね、セイク。確かめに行こうよ」
「でも・・・あいつが黒ミサだって言う確信がある訳じゃ・・・。第一、居場所が・・・」
ナットの言葉を真に受けたみたいだ。セイクも心の隅でテュイを疑い出している。
「黒魔術の場合、月が欠けているほど魔力は高まる。今夜は三日月、しかも最後だ。決行する
なら今夜かもな」
ナットは時計の月齢を見た。セイクはますます狼狽した。
その言葉は嘘でない事は、ルーシャにも解った。魔術の文献にも載っていた事だ。
セイクは拳を握り締めた。
「・・・サーマイ・チャペルの協力を得て、テュイを捜しましょう」
「それは止めた方がいい」
「どうしてです!」
「サーマイには『六芒聖士団』の一人、フォルヌ・ノレイが居る。団員が居るチャペルの態度は
デカイからな、すぐに捜査から外されるさ。まあそれ以前に、平牧師かつ他のチャペルの者の 言う事を信じてくれるかどうか」
士団の事は知っていたが、まさかよりによって此処に居るとは思わなかった。
「じゃあ、どうすれば・・・」
「鼻水垂らして泣いてる暇があったら、さっさと捜すべきじゃないのか?」
ナットはニヤリと笑ってコートを羽織った。
ルーシャもリュックを担いだ。
「行こ、セイク。ね?」
「・・・うん(どうでもいいけど、俺は泣いてなければ鼻水も垂らしてないぞ!)」
と、セイクは内心でナットを罵りながら頷いた。
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まさかこの街でセイクに会うとは、テュイも心にも思ってなかった。
しかも最悪にも、セイクは牧師の制服を着ていた。卒業後はチャペルへ進学すると言っていた
が、よりによってこんな形で再会するなんて。
制服姿だと言う事は、当然仕事中だ。最悪、自分の事を探りに・・・!?
「大丈夫だ、気付くはずない・・・」
テュイは冷や汗をかきながら、三つの小瓶を握り締めた。今朝、喫茶店で落ち合った人物
から高額で手に入れた品だ。これでアメルを・・・。
問題は場所だ。所持金が少ないため、サーマイを出る事は出来ない。早いところ、人目の
無い場所を見つけなければ。
この小瓶を売ってくれた人物は言った。効力は日が経つに連れて徐々に衰えて行く、だから
今夜中に決行する事だ、と。効力が失くなっては、元も子もない。何としてでも、この黒魔術を 成功させなければ。
テュイも初めは、黒魔術を信じてはいなかった。だが、あの男に会ってから考えは一変した。
アメルの葬儀の前日だった。彼は突然、音も無く自室に現れたのだ。テュイが驚く暇も与え
ず、男はアメルを生き返らせてやると言った。
男の正体よりも、テュイはその言葉に動揺し、そんな事が出来るはずがないと罵声した。
すると男は微笑い、自分が黒ミサ組織『エボス』の者だと明かした。
噂でその名は聞いた事があったが、作り話だとテュイは思っていた。
しかし、男が『エボス』の者だと知ると、急にテュイの身体は恐怖で震えた。怯えたテュイを
見て、男はますます上機嫌に微笑した。
怖がる事は無い、そう言って男は紙束をテュイに投げ渡した。黒魔術の儀式法が書かれた
物だ。
男はテュイに言った。
明日までに返事を考え、連絡しろ。蘇生が不可能だと思うのか? 無理もない。だが・・・
『私もその蘇生術で甦った一人だ』
あの時、自分に触れた男の体温が忘れられなかった。まるで氷、いや、死人のように冷た
かった。
そしてテュイは渡された連絡先に連絡し、指定されたサーマイまで赴き、金と引き換えにこの
三つの小瓶を手に入れた。
もう後戻りは出来ない。自分にとってアメルはすべてなのだ。
テュイは意を決した。
「アメル、もうすぐだよ・・・。また一緒に暮らそう、アメル・・・」
テュイは何度もアメルの名を囁き、小瓶を堅く握り締めた。
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