Elias

 さっきから、やたらと物音がしていた。傷んだ壁の軋みかと思っていたが、突然板が割れる
ような音と叫び声が上がった。
 あまりにも唐突だったので、三人の若者は思わずビクッと震え上がった。
「だ、誰か来たんじゃねえのか?」
「ウソッ。マレーったら、何してるのよ・・・。ねえ、どうしよ」
「心配無いさ。誰が来ても、脅かしてやればいい。今夜は派手に幽霊を喚んでみようぜ」
 そう言った青年の手中には、奇妙な紋が描かれた羊皮紙があった。
 一ヶ月前に、妙な中年の男からドラッグと一緒に貰ったものだ。何でも、これで黒魔術が起こ
せるとか。勿論、初めは信じてはいなかったが、ドラッグでハイになったついでに使用したみた
ら、まるで物語に出て来るような奇術が目の前で起きた。
 ドラッグが見せた幻覚かと思ったが、続けているうちにそうではないと解った。
 青年がニヤリと笑って羊皮紙をちらつかせると、仲間の二人も不安を隠すかのように無理に
笑って見せた。



 ようやく階段の穴から抜け出たタグノを、セイクは厳しく咎めた。
「もう少し静かにして下さい。今ので完全に俺達の存在が知られたかも知れません」
 仮に、ここに誰かが居るとしたらの場合であるが。
「いやはや申し訳ない」
 特に悪びれる様子がタグノに無いのが、ルーシャは気に食わなかった。恐らく彼は、これだけ
派手に騒いだのに何も起こらないので、この屋敷には自分達以外誰も居ないと思い込んでい
るに違いない。
 気を取り直し、三人は二階の捜査を始めた。
 捜査をしていると、廊下の一番奥の部屋から、光がうっすらと漏れているのにセイクは気が
付いた。セイクはルーシャの肩を叩き、無言で部屋を指差す。ルーシャも部屋から漏れる光を
確認すると、無言で頷いた。
「あっ、あそこから光が」
 タグノが声を上げると、ルーシャとセイクは物凄い形相でタグノを睨みつけ、人差し指を立た
せて黙らせた。よくこんな注意力散漫な人間が、牧師になれたものである。
 三人は息を殺し、無言でその部屋に近づいた。
 部屋のドアの近くに来ると、セイクはランプの火を消した。もし乱闘になった場合、火を持って
いるのは危険だ。
「どうします?」
 タグノが小声で尋ねた。
「突っ込む」
 ルーシャは部屋の取付が悪いドアに向かって、タグノを思い切り突き飛ばした。少しはこの男
にも役に立ってもらわなければ。
「うわああッ!?」
 不意に突き飛ばされたタグノは、成す術も無くドアごと部屋の中へ倒れ込んだ。中からも驚き
の声が上がった。
「特に罠は無かったみたいね」
「・・・そうだね」
 ルーシャの捨て駒作戦には感心しないが、相手がタグノなのでセイクは気に留めない事に
した。
「アイタタ。シ、シスター、いきなり何ですか。あんまりです」
「な、何だよコイツ」
「チャペルの牧師だわッ」
「その通り」
 ルーシャはようやく部屋に足を踏み入れた。無数の蝋燭が飾られた薄暗い部屋には、三人
の若者が居た。黒ミサには見えない。だが、ルーシャとセイクは油断しなかった。
 三人の若者のうち、酷く痩せた青年が前へ出て来た。青年はルーシャを見るとニヤついた。
顔が幼い故に馬鹿にされるのは毎度の事だ。だからと言って、腹が立たない訳では無い。
「君達は何をしている」
 セイクは、ナットを真似た訳でないが、出来るだけ威圧感がある口調で言った。
「こ、此処はあたしが買った屋敷よ。何しようが勝手だわ」
 セイクと同い年くらいの少女が反論した。それなりの身なりからして、何処かの令嬢のよう
だ。
「此処に苦情が来ているのは承知のはずだ。警察に連絡すれば、君達は間違いなく補導。
チャペルもそれを見たら、黙ってはいない」
 セイクは床に描かれた魔法陣を指摘した。一般人が知るはずのない、れっきとした黒魔術の
陣だ。
「ま、魔法陣!? 君達、どうやってこれを」
「貴方は黙ってて下さい」
 ルーシャは一喝してタグノを黙らせた。彼が口を挟むと話が続かない。タグノは面白くなさそう
な顔をして、まるで拗ねた子供のように口を尖らせて黙った。
 痩せた青年は、セイクを鼻で笑った。
「フン。悪いけどさあ、どっちにも捕まる気は無ェよ!」
 青年の手には札があった。セイクとルーシャの顔が強張る。
 セイクが走り出すより先に、青年は短いスペルを唱えた。すると床の魔法陣がカッと光った。
気味の悪い空気が何処からともなく部屋に流れ込み、蝋燭の火が激しく揺らめいた。
 魔術が発動しては止める術は無い。ルーシャは唇を噛み締めた。
「い、一体何が・・・。というより、君ィッ。一般人の魔術は禁止なのだぞ!」
 ワンテンポ遅いタグノの言葉には、誰も反応しなかった。勿論、ルーシャとセイクも。
 そして魔法陣から光が上がると、やがてそれは人の姿を形作った。次第に人の形は、大分
はっきりとして来た。顔はまるで髑髏のようで、今にも呻き声が聞こえて来そうだ。
「すっげぇ・・・」
 太った若者が漏らす。傍に居る少女も、目を丸くしてその光景を見ていた。
「すぐに術を解け! 素人には手に余る!」
 セイクの言葉に、青年は聞く耳を持たない。それどころか、攻撃をして来ようとした。
「うっせえよ! さあ、コイツらをやっちま・・・な、何だ。うわあッ」
 髑髏は突然その青年に襲い掛かり、彼の身体に溶け込むように消えた。青年は激しく床を
転げ回り、苦しみに悶えた。その尋常でない苦しみ方に、青年の仲間は恐怖に怯えた。
「チッ、馬鹿が」
 そこへ、疲労感を露にしたナットが現れた。
 ルーシャはパッと顔を輝かせた。ようやく頼りになる人がやって来た。
「ナットさん!」
「やあ、待たせたな。やれやれ、あの婆さんが話に夢中になったお陰で、ようやく逃げられた
ぜ」
「な、何が起きたんですか!?」
 タグノが凄まじく動揺してナットに尋ねる。こういう類の事件に慣れているはずの牧師が、こん
なに動揺してどうする、とナットは舌打ちした。
「あれは霊を喚ぶ陣だ。たちの悪い霊を喚んで、取り憑かれたみたいだな。馬鹿な若造だ」
 やがて青年は落ち着きを取り戻し、ゆっくりと立ち上がった。立ち上がり方は不気味で、まる
で上から糸で引っ張られているような雰囲気の動作であった。青年の仲間は部屋に端により、
なるべく青年から遠ざかった。
 青年の顔は蒼白で、目も虚ろだ。
 そして、
『この身体、もらったぞ・・・』
 声も変わっていた。
 本当に乗っ取られてしまったみたいだ。
 これでは無闇に手が出せない、とセイクは顔を歪めた。
『フフフ・・・。どうだ聖職者ども、手も足も出なグハッ!』
 言い終わる前に、悪霊が憑いた青年の顔にナットの拳が入った。
「ナ、ナットさん!?」
『き、貴様! この男がどうなっても』
「構わないさ。僕とは赤の他人だ。それとな、僕は相手が犯罪者ならば、男だろうが女だろう
が、年寄りだろうが子供だろうが、平気で殴るし蹴る!」
 仮にも聖職者としてそれはどうなんだ、とセイクは激しく思った。
『グッ、い、痛! ううっ! や、やめ・・・アダダダダ!!』
 目を覆いたくなるような、容赦の無い暴力だった。取り憑かれた青年もそうだが、彼に取り
憑いた悪霊まで哀れに思うほどだった。
 ナットは暴行を止め、彼の胸倉を掴んで立たせた。
「痛い? 良かったなあ、生きてるって証拠さ」
 ナットは、牧師に似つかわしくない腹黒い笑みを浮かべて言った。
『くッ・・・』
「さあ、在るべき場所へ還れ」
 ナットの足元に浄化の魔法陣が浮かび上がった。白い光が上がり、断末魔の叫びを上げ
て、悪霊は消えた。
 初めからそうすればいいのに、とセイクは思ったが、口にはとても出来なかった。
 気を失った青年を荷物を置くように床に落とし、ナットは青年の仲間に目をやった。まだ何も
されていないのに、ひっ、と彼らは身を竦めた。
「そこのデブい若造と服の趣味が悪いお嬢、痛い目に遭いたくなかったら、大人しくしてるんだ
な」
 酷い言われようにもかかわらず、二人は怯えてもっと部屋の隅っこに寄った。
「何か、解決しちゃったね」
「うん・・。『エボス』とは関係無さそうだな」
 とんだ道草を食ってしまったと思ったルーシャとセイクだが、ナットは違った。
「(一般人の黒魔術の会得・・・。また繰り返す気か、イライアス)」
「ナットさん」
 ルーシャが声をかけた。
「・・・ん、何だい」
「これからどうします? アガラナ・チャペルへ行きますか?」
「そうだなあ・・・」
 ナットは若者達を見た。彼らは更に怯えて悲鳴を上げる。
 大分怖がらせてしまったみたいだ。特に罪悪感は無いが。
「後はタグノ牧師に任せて帰ろう。僕は疲れた」
 勝手な事を言って、ナットは引き上げてしまった。
 タグノはタグノで、愚かにも手柄を一人占め出来ると少し有頂天になっていた。早死にする
タイプだ、とナットは呟いた。
 だが、タグノに任せると言ったものの、いまひとつ安心出来ないので、若者達の拘束までは
手伝った。ナットが居るからか、彼らは大人しく拘束され、気絶した痩せた青年は太った若者に
背負われて、屋敷の外へ出た。
 屋敷の外では、問題の老婆、もといマレーがしっかりと居た。
「あ、ナッくん! 何処に行っ・・・え、アタシもチャペルへ連行? それは嫌・・・って気安く触るん
じゃないよ阿呆牧師!」
 と、マレーを補導するのは難儀であったが、ナットが説得を試みた。補導は貴女のため、決し
て悪いようにはしません、僕を信じてくれませんか、などと歯が浮くような台詞をナットはマレー
に言い続けた。
 その時ルーシャは、ナットの目尻に涙のようなものが見えた気がしたが、恐らく見間違えでは
なかっただろう。
「とりあえず、一段落したな・・・」
 さっき以上に疲労感を露にしたナットが言った。
「じゃあ、宿に戻りましょうか」
 セイクは今回の件が『エボス』でない事に安堵し、ルーシャは既に眠たそうだった。
 夜明けまで後少し、となった時刻にセイク達は宿へ戻った。まだ全然暗いが、早朝勤務の人
は起きる頃だ。
 眠いのを我慢して歩く中、ナットの足が不意に止まった。ルーシャも足を止めて前を見ると、
四人の黒ずくめの服装をした男達が立ちはだかっていた。
 嫌な予感がした。
「ナサニエル・ハイリゲンクロスだな?」
 男の一人が言った。ナット達の顔が強張る。
 よく見れば、男達の二の腕には赤地に漆黒の逆十字と、烏の羽根の刺繍が施されていた。
黒ミサ組織『エボス』の印だ。
 セイクは咄嗟にルーシャを傍に引き寄せた。
 しかしナットは冷静に、口元に不適な笑みを浮かべた。
「フッ、ばれちゃあ仕方ない。逃げろ、ナサニエルくん」
 ポンッと、ナットはセイクの肩を叩いた。
「・・・えッ!?」
 セイクは青ざめた顔でナットを凝視する。男達も動揺した。
「なっ、あっちの青二才がナサニエルか!?」
「い、いや騙されるな! 情報では中年の男のはずだ!」
「どっちでもいい! 捕まえろ!」
 男達が動き出すまで時間があった。ルーシャはリュックから球体カプセルを取り出し、彼らの
顔に投げ付けた。カプセルは簡単に割れ、透明の液体が男達の顔を濡らした。
「うっ! な、何だこの液・・・い、イタッ。しっ、滲みる!」
 男達は袖や手で顔を拭うが、液体が付着した手にも痛感が生じた。中でも液体が目に入った
者は、必死になって顔を何度も拭った。だが、水で流さない限り痛みは取れないだろう。
「・・・ルーシャ、今度は何を作ったんだ」
「消毒液。市販のより十倍濃いやつね」
 肌荒れするだけでは済まされないだろう。しかし、相変わらず地味な攻撃だ、とセイクは呆れ
た。
「よくやった、お嬢さん」
 男達に隙が出来るとナットが動き、また容赦無く殴る蹴るなどの暴行を開始した。
「ナ、ナットさん、少しは加減して下さい! 死んでしまいます!」
 入り込む隙も無いので、というより下手をすれば自分も殴られそうなので、セイクは叫んで
止めた。
 ナットはさりげなく舌打ちし、暴行を止めて、倒れた男達に魔術を施した。
「何をしたんですか?」
「魔術封じだよ、お嬢さん。君の機転で助かった」
 ナットは満足げに笑いながら、手際良く男達の衣類の端を破き、それで彼らを拘束した。
ルーシャの薬品の効果もあり、ナットからの暴行の効果もあるので、簡素な拘束だが充分で
あろう。
 そして思い出したかのように、セイクはナットに抗議した。
「ナットさん! 勝手に俺を自分に仕立てないで下さい!」
 生きた心地がしなかった、とセイクは怒った。
「お陰で敵に隙が出来たよ」
 ナットには謝罪も反省の色も無かった。
「(この人とはどうも相性が悪い・・・!)」
 セイクは不機嫌な顔でナットを睨んだ。
「この人達は警察に?」
 ルーシャが尋ねた。
「いや、このままでいいさ。しばらくは逃げられないだろうし、誰かが警察に通報する。身元を
確認する際、警察が僕が施した術の紋を発見して、チャペルに連絡」
「そしてチャペルが『エボス』の印に気付く、ですね」
「その通りだよ。流石だ、お嬢さん」
 ナットはセイクの時とは打って変わって、優しい態度でルーシャに接した。
「どうして此処に『エボス』が現れるんです? さっきの屋敷での事件とは、関係無いはずなの
に」
 やや不機嫌な口調でセイクが言った。
 まるで、責任はナットにあると言いたいようだった。
「話は後だ。とにかくずらかるぞ」
 ナットは我先にと駆け出した。
 本当に立ち去るのだけは人一倍早い。ルーシャとセイクはすぐに後に続いた。



 宿に戻ると、ナットは厳重に戸締まりし、小声で話し出した。
「あの屋敷の件は、恐らく『エボス』とつながりがある」
「えっ?」
「そんな、ただの悪戯じゃ」
「悪戯で一般人が黒魔術を会得出来んよ。過去にもあったんだ、多数の一般人が黒魔術を
使う事件が」
 ナットは険しい顔になり、机に資料を置いた。『エボス』の経歴が書かれた資料だ。
「僕がリベルで普通に牧師をやっていた時の事だ」
 ナットは初めて自分の過去を話した。セイクとルーシャは真剣に耳を傾けた。
「魔術を使えるはずがない、まして黒ミサでもない一般人が魔術を使い、様々な禁忌がリベル
で起きた。勿論、僕は捜査に加わった。そして一般人に魔術の資料を流した人間を見つけた」
「黒ミサですか?」
 ナットは首を横に振った。
「高位の牧師だ。彼の名は、イライアス・ダル・シューゼムナイト」
 セイクは息を呑んだ。それは机の上にある資料に載っていた、神を創ろうとした男の名だ。
「彼が一般人に魔術を教えたのはチャペルの信用を失くすためだ」
 ルーシャは手を堅く握り締めた。ナットの話の途中なので、言いたい事をグッとこらえた。
「魔術の管理はチャペルの義務だ。それが一般人の魔術の多使用とくれば、次第に信用は
消える。黒魔術に犠牲は付き物だ。実際、遺族からの反感は買った」
「何でその人はそんな事・・・牧師なのに!」
 我慢出来なくなり、ついルーシャは声を荒げた。
「当時の彼はすべてを憎んでいて、すべてを壊したかったんだ。彼も牧師である前に人間だ。
人間は一歩間違えれば、誰だって犯罪に手を染めてしまう。聖職者でも、警察でも、政治家で
もな」
 イライアスの話になって、辛そうな表情をするナットを見て、セイクは察した。
「お知り合いだったんですね、その人と」
「ああ、友人だ」
 ナットの目は真剣だった。
 犯罪を犯した人物でも、ナットは胸を張って彼を友人と言った。二人の間にどれだけの絆が
あるのか、ルーシャには知る由も無かった。
「過去に今回と同じ事があったのは解りました。でもその人は亡くなった。それが『エボス』と
何か関係が?」
 セイクが問うと、ナットは資料を開いてイライアスの顔写真を見せた。
「確かに彼は死んだが、君達はセルネニアの墓地で彼を見たはずだ」
 ナットの言葉に、一瞬理解が出来なかったが、イライアスの写真を見た途端にセイクとルー
シャに動揺の色が現れた。
 イライアスの名を聞いたような気がしていたセイクの疑問も、ようやく解けた。自分はあの墓
地で、その名を聞いていたのだ。
「まさか・・・」
「そうだよ、お嬢さん。『エボス』の儀式で誕生した男・・・ネオはイライアスの生まれ変わりだ」





                              





 もうじき夜が明ける。ネオは一人で街を当ても無く歩いていた。
 組織の連中はネオを恐れている。故に彼の行動には一切口を出さなかった。彼が何処に
行こうと、その先で何をしようと。
 ネオが意味も無く徘徊するのは、身体を慣らすためだ。誕生したばかりの所為か、思うように
身体を動かせなかった。『エボス』の連中はその事を知らない。知られる訳にも行かない。ネオ
は連中を信用していなかった。
「ふう・・・」
 そろそろ戻ろうと思った。もう疲れるとは情けない、とネオは苛立ちを感じた。
 早くこの身体に慣れなければ。
 細胞の一つ一つ、髪の毛一本までも、すべて創り物だ。そしてこれは、多くの人間の命が集
合して出来たものだ。今は自分の物ではないが、いずれ我が物としてみせる。
 魔術で転移するために路地へ入ると、言い争う声が聞こえた。
 酔っ払った中年の男と、酷く小柄な少女が居た。男は何度も少女を殴っていた。
「この役立たずが!」
 ネオは何気なく、その光景を見ていた。
 男は少女の胸倉を掴み上げた。
「身体売るのが嫌なら、このペンダントでも売って来い!」
 少女の首から下げてあるピンクの石がついた簡素なペンダントを、男は取り上げようとした。
少女は必死になって、それを護ろうとした。
「や、やめて・・・それはお母さんの形見・・・」
「じゃあとっとと金作って来やがれ!」
 少女は顔を思い切り殴られ、木箱の山に打ち付けられた。
 男はネオの存在に気付くと、下卑た笑いを浮かべ、よろよろと近付いた。
「何見てやがる。それとも何だ、買って行くか? 俺の娘なんだけどよ、安くしとくぜ?」
 突然、男の目の前に紫色の魔法陣が浮かび上がった。そして瞬時に男の首が消し飛んだ。
「醜い人間が。私に近づくな」
 血飛沫を上げて弛緩して行く首無し死体を払いのけ、ネオは少女に近づいた。
 少女は有り得ない光景を前に、目を見開いた。
 ネオが間近に来ると、少女はハッとして顔を真っ青にし、ガタガタと震え出した。
 少女のみすぼらしい格好の上、顔は痣だらけだった。唇も切れて血が滲んでいる。露出した
肌にも痣が多数あった。
「貴様、名は」
「あ・・・ぁ、っ・・・イ、イリィ・・・で、す・・・っ」
 唇を震わせて、必死の思いで少女は名乗った。目からは涙がとめどなく流れていた。
 殺される、と少女、イリィは思った。だが、ネオはイリィが予想もしなかった行動に出た。
 ネオはイリィに手を差し出し、そしてこう言ったのだ。
「来い。貴様を使ってやる」
 イリィは酷く狼狽した。ネオは手を差し出したままだ。
 躊躇すれば、殺される気がした。イリィは震えながらネオの冷たい手を取った。
 ネオの手は酷く冷たく、本当に血が通っていないように冷たく、まるで死体のようであった。