魔王、受難 6
三島家での楽しい夕食時、愛依もとい元魔王デスネルは母親に学校から受け取ったプリント
を差し出した。
「あら、授業参観のお知らせ? もうそんな時期なのね」
授業参観が開かれる時期などさっぱり解らなかったが、デスネルはうんと頷いた。
デスネルも他の小学生と同じで授業参観に親が来て欲しくなく(鬱陶しいから)、プリントを
破棄しても良かったのだが、お咎めを恐れて(やかましいから)素直に母親に出したのだった。
「あ、でもこの日はちょっとお母さん無理だわ」
「何かあるのか?」
と、父親。
「ええ。お迎えの奥さんとバーゲンに」
「バーゲン? そんなの断って、授業参観に行ってやったらどうだ」
「でも、もう大分前から約束していたし・・・」
父親は会社があるため当然行く事が出来ない。
母親もバーゲンのため行く事が出来ない。
これぞまさに好機! と思った刹那。
「そうだわ! ラキュルスくんに行ってもらいましょう」
「はあ!?」
デスネルは思わず素になって声を上げてしまった。
その横で煮物を味わっていたラキュルスも、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で母親を見た。
「ちょ、ちょっと待て、いや待ってよお母さん! 別に私は誰も来なくてもっ・・・」
デスネル超必死。しかし、母親は頑として譲らず。
「だーめ。ラキュルスくん、悪いんだけど、明日愛依のために行ってあげてくれないかしら?」
その愛依『ため』という言葉に、ラキュルスは大いに反応した。
「はっ! お任せを母上様。このラキュルス、全身全霊をかけてそのジュギョウサンカンとやら
に参ります!」
「(ラキュルス・・・!! 後で覚えておれ!!)」
デスネルは歯軋りしながら、こっそりとラキュルスの味噌汁に醤油を注いだ。
そして授業参観当日。
「いいか!? 絶ッ対に学校に来るな! これは魔王の命令だ!」
「と言われましても、行かなかったら私が母上様に半殺しに・・・」
「むしろなれ!! 来たら貴様の羽根で羽毛布団作るからな!」
「な、何という殺生なっ。しかしデスネル様、毎日タダ飯を頂いている身分で母上様に逆らう
のは不当では」
「貴様はいつから人間相手に義理堅くなった!? 魔界の者としてのプライドは無いのか!」
そこへ、下に居る母親の声がデスネルの部屋に届いた。
「愛依、いつまで支度しているのー? 遅刻するわよー」
デスネルはハッとして時計を見ると、恐ろしいぐらいに時間が経っていた。
「ま、拙い、遅刻する! いいか、来るでないぞ!」
デスネルは乱暴にランドセルを背負うと、勢いよく階段から駆け下りた。
ラキュルスは二階から身を乗り出して、一階に下りたデスネルに向かって叫んだ。
「デスネル様、パンを食わえたまま路上を走るのは大変危険ですよ!」
「するか馬鹿者!! 少女漫画か!?」
そんな慌ただしい朝も過ぎ去り、午後に突入。
教室には保護者が何人か集まり、嫌だ嫌だと言いながらも何処か嬉しそうなクラスメートの
姿もあった。
「お母さん達いっぱい来たねー。愛依ちゃんのお母さんて、どの人?」
「うちは来ないよ」
「そうなの? ちょっと寂しくない?」
「別に寂しくな・・・」
と、言いかけた時、デスネルの視界にラキュルスの姿が入った。瞬時にピシリとデスネルの
顔が引きつる。
恐らく母親に仕立て上げられたのだろう、ラキュルスは髪をきちんと束ね、父親のスーツを
身にまとっていた。ラキュルスは近くに居る保護者に声をかけてクラスを確認し、そしてデスネ
ルの姿を見つけると安堵の色を顔に表した。
「(あんの・・・ボケガラスがああああッッ!!)」
デスネルは筆箱をミシミシ言わせるほど握り締めた。
その不機嫌さを最大力に出したデスネルの様子に、ラキュルスはサッと青ざめ、何度も頭を
下げた。
「わあ、あの人カッコイイね。誰のお兄さんかな」
「お父さん、じゃあ若いか・・・。あたしもあんなお兄ちゃんが欲しいなあ〜」
「ねえ、奥さん。あの方、どちらの保護者かしら」
「見た事がありませんねえ。凄く素敵な人だわ」
何やら教室全体(特に女子、女性)が妙な空気に包まれたのをデスネルは感じた。
皆がしきりにラキュルスを見ては、ヒソヒソと何か話している。当のラキュルスはデスネルの
事で頭がいっぱいで、周りに気付いていないが。
「馬鹿が、注目の的だ・・・」
デスネルはなるべくラキュルスと目を合わせないようにし、と言うより他人のふりをして授業を
受けた。
授業が始まり、今日は異常に静かだと担任が言えば保護者はドッと笑い、いつものうるささと
集中力の無さは何処へと言った感じの生徒達。これまでに行われた授業参観と何ら変わらな い風景だ。
ただ。
生徒達は気が付いていないが、保護者の視線は我が子よりも誰の保護者か解らない若い
男性、ラキュルスに注がれていた。
それもそうだろう、とデスネルは密かに思っていた。
実のところ、デスネルの知る限りでラキュルスには魔界に九人の妻が居る。もっと居るかも
知れない。とにかく自分ほどではないが、ラキュルスはアレでなかなか魔界でモテている。
この状況だと、せっかく母親にいいところを見せようと無駄に張り切っている生徒が哀れだ。
「(やはり早々に帰らせるか。何よりも、妙に教室が熱気に満たされているような・・・)」
それは恐らく、保護者のラキュルスに対する熱い視線と想いであろう。
「では次を・・・三島さん、読んで下さい」
「えっ! あ、はいっ」
突然当てられ、デスネルはベタに教科書を逆さまの状態で手に持って立ち上がった。
しかも最悪な事に、ラキュルスに気を取られていた所為で、読む場所が解らない。そんなデス
ネルを見ていた隣の席の男子が、ボソリと一言。
「だっせー。解んないでやんの」
そうせせら笑った刹那、少年のうなじにサクリと刺さるカラスの羽根。少年は声も上げずに
グルリと白目を剥いて机に突っ伏せた。
少年のうなじから生えた、もとい突き刺さった羽根に気付いた周囲の生徒は、いっせいに
悲鳴を上げた。保護者も一瞬間を遅れて騒ぎ出す。
その中でデスネルだけが、ただただ顔を引きつらせて、何処か満足げな顔をしたラキュルス
を睨みつけていた。
でもって休み時間、校庭の隅っこにて。
「帰れ」
本来の姿ならば、誰もがその凄みに負けて腰を抜かすのだろうが、今のデスネルは少女だ。
どんなに怖い顔をしても迫力に欠ける。
しかし、それでも戸惑いを隠せないのがラキュルスであった。
「で、ですが」
「帰れ」
「あの小僧の事をお怒りで? デスネル様を侮辱する者は、死あるのみで」
「帰れ」
ちなみに、少年は気絶しただけで、今は母親と共に保健室に居る。人間にはラキュルスが
瞬時に羽根を放ったところなど、一生かかっても見抜けないだろう。それだけラキュルスの動き
は速かった。
「絶対に帰れ。もしまた教室に姿を現したら、永久脱毛剤を貴様に振り掛けるからな」
「あっ、デスネル様!」
デスネルはそれだけ言い放つと、チャイムが鳴る前に教室へ駆けて戻った。
そして授業が始まった。言いつけの通り、ラキュルスは教室に来なかった。あれだけ脅したの
だから、当然だ。と、ホッとしてデスネルは窓の外を見ると、教室の傍の木に一羽のカラス。
「ッッッ!!?」
思わず噴き出した。嫌でも解る。あのカラスは、まぎれもなくラキュルスだ。
確かにそこは教室ではないが・・・。
「(妙なとん知を利かせおって、貴様は一休さんか!?)」
そのツッコミ方も人間味が出て来ている事を、デスネルは気付くはずもなかった。
今度ばかりはデスネルも授業に集中していたので、指されても難無く答える事が出来、先程
のような悲劇は起こらずに、無事授業は終了した。
帰りの会、などと下らないホームルームの際、ふとデスネルは窓を見たが、ラキュルスの姿
は無かった。
「(もう少し早く帰ればいいものを・・・)」
先生との帰りの挨拶を済ませ、デスネルはようやく学校を後にした。今日は無駄に長く感じら
れた。
そして、校門を出た時。
「お疲れ様です、デスネル様」
「・・・貴様、帰ったのではなかったのか」
鬱陶しそうに人の姿となったラキュルスを見て、デスネルは深く深く溜め息を吐いた。
「魔界に居た頃に申しましたでしょう? 私は貴方様の守人だと。今日はジュギョウサンカンと
やらで、この姿で堂々と一緒に帰れますし」
確かに今までは、カラスの姿で下校時にデスネルの傍を飛んでいた。人の姿にならなかった
のは、今でもそう、人目を集め過ぎるからだ。少しは己の容姿に自覚しろ、とデスネルは内心 毒づいた。
「その姿での帰宅は今日限りだ」
「承知しました。デスネル様」
「何だ。というより、今はその名で呼ぶな」
ふてくされたデスネルに、ラキュルスは横に並んで手を差し出した。意味が解らず、デスネル
は眉をひそめ、ラキュルスは周りの生徒達を指差した。
皆、母親、あるいは父親と手をつないで帰っている。
心底嫌そうな顔をしたデスネルは、無言でランドセルをラキュルスに手渡し、先を歩いた。
翌日、クラスメートにその下校時の姿を見られたデスネルは、「愛依ちゃんて、女王様みたい
だね」と意味不明な事を言われる羽目となった。 |