Ebos
夕闇が訪れた頃、サナマの部屋の窓辺に野烏がやって来た。口に奇妙な形の小瓶を咥えて
おり、コツコツとくちばしで窓ガラスを叩いた。
サナマは窓を開けて野烏から小瓶を取り、餌を与えると外に放った。
これですべて揃った、とサナマはしゃがれた声で呟く。肩の荷が一つ下りた気分だった。
この小瓶の中身を手に入れるための儀式の最中に、チャペルの人間が現れたと言う情報を
耳にして肝を冷やしていたが、万事上手く行ったみたいだ。
手元には同じ形の小瓶が三つ。すべて、とある儀式に必要な物だ。
一つの小瓶には、骨格を生成する素が。もう一つは皮膚、筋肉、爪や髪を生成する素が。
そして、今し方手元に届いた小瓶には、臓器や神経を生成する素が封印されている。
準備は整った。後は・・・。
「後は新月の夜を待つだけでございます、サナマ様」
傍に居た黒フードの男が言う。
「キーレン、皆に伝えろ。我らの主となる者が復活する日は近いと」
「御意」
キーレンは頭を下げ、滑るように床を歩いて部屋を出た。
サナマは金庫から古い書物を取り出した。死者蘇生の書、『スティクス奇書』だ。
誰がこのような奇怪な本を書き記したかは解らない。実際に死者蘇生が成功した例は聞い
た事が無いが、チャペルがこの書物を管理していたのならば、この本の内容を信用してもいい だろう。
ただの悪戯で書き記された本ならば、わざわざあのチャペルが管理するまでもない。
新月まで、後わずか。このまま順調に事が進めばいい。
同刻、セルネニア・チャペルの寄宿舎。
「ルーシャさん、セイクさん。大司教様からご連絡です」
セルネニア・チャペル所属のヒアンス牧師が、二人の元にクレイズからの手紙を届けにやっ
て来た。
「有難うございます」
「では、僕はこれで」
ヒアンス牧師が出て行くと、セイクは蝋封された手紙を開封した。ルーシャも横から覗き込
む。
手紙に書かれてあった内容はこうだ。
黒ミサの目的は大規模な死者の蘇生らしい。儀式の決行日は新月の夜。セイク達の任務
は、儀式の阻止、またそれに用いられた書物の回収だ。
手紙を見たルーシャは、怪訝な顔をしてセイクに言った。
「儀式の決行場所まで書かれてるって、どういう事?」
手紙には簡素な地図も同封されていた。儀式が行われるであろうと予測された場所が、紅い
丸で印されていた。
「うーん、無駄に詳し過ぎるな。決行日まで解るなんて」
「今回の件より、大司教様に情報提供した人の方が気になるよ」
セイクも同意見だが、今はやるべき事をする時だ。
「新月か。丁度明日だ」
懐中時計の月齢で確認した。
「早いって。じゃ、今のうち薬作っとこ」
ルーシャは材料と器具を持つと、洗面所へ向かった。 爆発だけは起こさないで欲しい、と
セイクは切に願った。
それからしばらく経って、ライオネルからも連絡の電話が来た。クレイズ大司教からの手紙の
事で話があるらしい。
『私達は、出来れば君達と行こうと思っているんだが・・・』
「はい、俺達もそのつもりでした。新月は明日なんです」
『明日か、急だな。では明日の夕方、君達を迎えに行くよ』
「よろしくお願いします」
セイクは受話器を置いて息を吐いた。一つの事件から、何やら大変な事態になって来てしま
った。
なのにルーシャと来たら、嬉々と薬の調合を行っている。
「君の図太い神経が羨ましいよ・・・」
「え? 何か言った?」
「いや別に」
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翌日の日没時。ライオネルはシールが運転する車に乗って、セイク達を迎えに来た。
大人数で行くと黒ミサに気付かれる恐れがあるため、今回は四人で向かった。それもクレイ
ズ大司教が、この事件はなるべく極秘に行うように、と命じた所為だ。
こんな少人数で太刀打ち出来るのかという抗議の声も上がったが、クレイズは妙に自信を
持って無事に解決出来ると告げた。
疑問が付きまとうばかりだ。
「大司教様は、何故場所も解ったのだろう」
渡された地図を見て、ライオネルはセイクに尋ねた。
「俺達も気になっているんです。それに、場所は本当に正しいのか・・・」
「行ってみれば解るわ。文句も疑問も、全部終わってからよ」
ルーシャのもっともな言葉に、ライオネルはそうだねと微笑って頷いた。
やがて空に星が見え出した頃、一行を乗せた車は問題の場所にたどり着いた。
そこは、
「・・・墓地?」
街から少し離れた墓地だ。古い場所なのか、管理が行き届いていない。雑草は伸び放題、
墓石は荒れ放題である。
いくら市街から外れていても、チャペルの本部がある土地でこんな場所があっていいのだろう
か。と、ルーシャは思った。
「人気が無い。儀式には恰好の場所だな」
冷たい風がライオネルの頬を撫ぜた。シールは不気味な雰囲気に、落ち着かなく辺りを見回
す。
ルーシャはサビだらけで壊れた門をくぐると、胸に十字を切った。
「広そうだから、手分けして捜しましょう」
「そうだな。私はルーシャくんと行こう。シールはセイク牧師とだ」
「了解」
「何かあったらどうします?」
と、セイク。
「笛を鳴らす」
「聞こえないって」
ルーシャは残念そうに鳥の形をした笛をしまった。本気だったらしい。
ライオネルは銃の安全装置を外した。
「何かあったら銃を鳴らす。これでいいかな?」
セイクは大きく頷いた。それこそが、もっともな手段だ。シールも銃の安全装置を外した。
四人は二手に分かれ、黒ミサの捜索に取り掛かった。
分かれたところで、ルーシャはライオネルに尋ねたい事があった。捜索しつつ、先を進むライ
オネルに声をかけた。
「あの、ライオネルさん」
「レオでかまわないよ。何かな」
「じゃあレオさん。昨日言っていた神を創ろうとした人の事、聞いてもいいですか」
「ああ、いいよ」
「どうして神を?」
ルーシャにしてみれば、随分夢見がちな事だなと思っていた。
「彼曰く、この世に神が居ないからだそうだ。もし神が居れば、母は狂わず、自分を忘れなかっ
たと彼は言っていた」
ルーシャは黙って話の続きを待った。
ライオネル、改めレオは話を続けた。
「神は空想や偶像ではなく、目の前に存在し、意志があり、実体があってこそ神だ。それが彼
の考えだった」
「でも、どうやって神を創ったんです? そんな御伽噺のような事・・・」
「彼は元牧師だった。高度の錬金術を身につけ、その力で神を創った」
元牧師という言葉に、ルーシャは目を丸くした。
「そんな、チャペルの人間が!?」
「人は誰であれ、必ず過ちを冒す。警察でも、聖職者でもだよ」
これは友人の受け売りだ。
ルーシャは複雑な顔をしていたが、何処か納得したらしい。
「それで・・・神は、結局どうなったんですか?」
「未完成のまま、チャペルによって解体されたよ」
神は完成しなかったらしい。
「レオさんが食い止めたんですか?」
「いいや、私の友人さ」
自分はただ拉致られ、何も出来ないまま事件解決を迎えただけだった。その事は胸に秘め
ておいた。
「じゃあ、その神を創った人は?」
「事件から一年くらい経った頃に、病で亡くなったそうだ」
「そうなんですか・・・」
自分が生まれる前に、そんな壮絶な事が世間で起きていたとは思いもよらなかった。チャペ
ルの講義でも聞かされていない上、母も話してくれなかった。
やはり事件の根源が、『元牧師』だった所為だろうか。
きっとそうだろう。チャペルにとっては、最大の汚点に違いない。
「(仕方ないとは言え、実際あった事件を隠そうとするのは、何か嫌だなあ・・・)」
ルーシャはぼんやりと思った。
大分墓場の外れまで来た。黒ミサの姿は無い。だんだん辺りが暗くなって来ていた。
「見当たらないな」
「あっちはどうですか」
ルーシャが指した方向には、小さな墓石の集まりがあった。まだまだ墓地は広いみたいだ。
サナマは多数の信者を前に声を張り上げた。
「時は来た! 今宵は我ら『エボス』の主となるべき者の復活である!」
信者は声を揃えてサナマを崇めた。不気味な墓地に、彼らの声が木霊した。
紅い敷物の上に、人が入れそうな巨大な金の器が置かれていた。
煮えたぎった湯が注がれた金の器に、サナマが儀式で得た三つの小瓶の蓋を開けて入れる
と、湯の色が真っ赤に染まった。
サナマは『スティクス奇書』を開いて詠唱を始め、信者達も後に続いて詠唱する。
しかしそこへ、
「チャペルの者よ、儀式を今すぐ止めなさい!!」
儀式のさなか、第三者の声が上がった。
詠唱が止み、全員が声が上がった方向を見た。そこには、まだ少女のシスターと警察機構の
男が居た。
「なっ! どうして此処が!?」
信者の一人のキーレンは、驚きを隠せず叫んだ。
相手の動揺振りを見て、ルーシャは優越感に浸った。
「チャペルは何でもお見通しよ」
「まあ、情報があったしね」
「レオさん、こういう時は格好つけましょうよ」
キーレンは険しい顔で信者達に叫んだ。
「儀式を邪魔する者を始末しろ!!」
「わっ、来た」
「シール達が来るまで頑張るんだ」
レオは銃口を空に向け、発砲した。
「・・・今、銃声が」
シールの言葉に、セイクはいち早く反応した。
二人は銃声がした方向へ、一目散に駆け出した。
ルーシャはリュックから杖を取り出した。先端には紋章が彫られ、かざすと淡く光を放ち出し
た。
「こいつ、シスターの分際で魔術を!?」
「発動する前に仕留めろ!」
ルーシャはギリギリまで相手を引き寄せ、そして杖を振り上げ、
「はあッ!」
相手の脳天に思いきり振り下ろした。ゴスッと鈍い音が鳴り、一人が倒れた。
「お生憎様。私はまだ魔術は使えないし、最低限の規律は守る性格よ」
杖は玩具だと言って、何度も光らせてみせる。
「こ、このガキ・・・ぐっ!」
はったりに気付いても遅い。ルーシャは続けざまに杖で殴り掛かった。
レオは銃をしまい、素手で信者達を殴り倒した。弾の数は限られている。余程の事が起きな
い限り、銃を使うつもりは無い。
次々に信者達を蹴散らすレオに、ルーシャはわあと声を漏らした。レオは紳士的な物腰だか
ら、てっきり肉体戦は全然駄目だと思っていた。
だが、人は見かけによらず、であった。
「喧嘩、強いんですね」
「嫌いなんだがな。君も杖の扱いに手慣れているようだが」
「母さんから習いました」
凄まじい母娘だ・・・。血は争えないな、とレオは心のうちで呟いた。
「ルーシャ!」
「セイク、遅い!」
やっとシール達が到着した。ルーシャはセイクの方へ駆けながら、ガラス製の球体をいくつか
地面にばらまいた。ガラス球は信者達に踏まれ、中に含まれていた液が流れ出た。
「今よ、地面に点火!」
ルーシャはサッとセイクの後ろの隠れた。セイクは魔方陣を刺繍したグローブをはめた左手
をかざし、炎を放った。炎が地面に接触すると、ボッと勢いよく炎上し、一気に広範囲に広がっ た。
「流石はチャペルのランプ油。よく燃えるわ」
「おば様に気付かれないといいけどね・・・」
どうせ無断に持ち出したに違いない。
炎に逃げ惑う信者達に、サナマは舌打ちした。
「キーレン、わしは儀式を進める。お前は奴らを止めろ」
「御意」
キーレンは懐から札を取り出した。札には魔法陣が画かれ、キーレンの言葉に反応して黒く
光った。
「魔術かっ」
レオは身構え、シールはどうしたらいいか解らず動揺する。
地面の至る所が盛り上がり出した。そして、土中から白骨化した腕が現れた。腐敗臭が鼻
を刺激する。地面からはい出て来た死体には、まだ頭髪や腐った皮膚が付着しているものも
あった。
「何てお約束な魔術・・・」
ルーシャは手で鼻を覆った。腐敗臭と死体の姿に、吐き気が込み上げた。
「う、うわあっ!!」
シールは有り得ない光景を前に困惑し、迫り来る死体に銃を向けた。それを見たルーシャ
は、慌ててシールに叫んだ。
「補佐官さん駄目! 例え気色悪くても相手は死者。死者を傷付けては・・・ってキャー!?
近寄るなーッ!!」
「ルーシャ、死者の首を飛ばさない!」
死体は酷く脆かった。ルーシャが思わず杖で突き飛ばした死体は、地面に倒れると首が取れ
てしまった。
その間、サナマは儀式を再開した。
レオはなるべく死体を壊さないように攻撃した。だが、倒しても死体は何度も起き上がる。
以前にも死体を相手にした事があった。あの時は、友人が浄化術を施したから助かった。
しかし、今はその友人が居ない上、セイクは浄化術が使えないとルーシャが言っていた。
「ルーシャくん、聖水を!」
「数が足りません! 浄化魔術くらい覚えてよ、馬鹿セイク!」
「文句は後で聞くよ! 今はこの状況をっ・・・」
聖職者であるがため、死者には迂闊に手を出せない。それもキーレンの策だ。
このままでは儀式が達成してしまう。だが死体が行く手を阻み、サナマに近づけない。
「(私に・・・私に魔術が使えたらっ)」
ルーシャは唇を噛み締めた。
その時、低い声が上がった。
「包み込むは神の息吹! 聖と光の契りを結べ。名を捧げる。我が名は、ハイリゲンクロ
ス!!」
すべての死体の足元に魔法陣が浮かび上がり、サアッと白い光が上がった。すると、死体は
瞬時に地面に崩れ落ちた。
「これは、浄化魔術・・・?」
ルーシャは呆然と立ち尽くした。セイクもしばし放心する。シールは死体が動かなくなった
安堵のあまりに、腰を抜かした。
そんな中、レオだけが血相を変えて辺りを見回していた。
「おのれ、誰だ!」
怒鳴るキーレンの背を思い切り蹴飛ばした男が居た。男はキーレンから札を奪うと、乱暴に
破り捨てた。
「き、貴様っ」
キーレンはすぐに起き上がろうとしたが、男は更にキーレンを踏み付け、こう言った。
「死者を辱めるとはイイ度胸だ。このナサニエル・ハイリゲンクロスが直々に鉄槌を下してくれ
る」
無造作に髪を束ね、突如現れた男、ナサニエルは不適な笑みを浮かべ、拳を鳴らした。
「ナ、ナサニエル!!」
レオは震えた声で必死になって叫んだ。
このナサニエルこそ、レオがずっと捜し続けていた友人なのだ。
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