Sister and Rector
此処は、宗教とはあまり縁の無い田舎町。平穏であったはずの街は、季節の変わり目を境に
奇妙な事件が相次いだ。
多発する若い男女の失踪、家畜の被害。家畜は首を斬り落とされ、胴体だけが牧場に残さ
れていた。
場所が地方、加えてあまり手掛かりが見出せない可能性があるという事で、たらい回しに
されていたこの事件を聞いて街に駆け付けた警察機構の男は、首を失くした家畜の死骸を
見て確信した。
黒ミサの仕業だ、と。
「黒ミサ、ですか? ジャスティレイド少佐、連中が家畜の生首など一体何に・・・」
「それは解らない。しかし、間違い無く黒ミサの仕業だ」
彼は黒ミサと聞けば何処へでも飛んで行く。今回も事件の情報を聞いて、黒ミサではないか
と踏んで来た。
予想は当たった。
事件は悪戯にしても悪質、それに被害に遭った家畜は、すべて黒ヤギだ。昔、ある友人に
ヤギはあの角がある事から、太古から悪魔の化身だと言われ、黒ミサ崇拝者の儀式によく
使われると聞いた事があった。
「そういえば、少佐のお知り合いにチャペルの方が居ましたね」
と、補佐官のシール。それならば、このライオネル・ジャスティレイド少佐が、黒ミサに敏感
なのも納得出来る。
シールの言葉にライオネルは、ああと生返事を返した。
「とにかく、これはチャペルの協力が必要だ。主人、チャペルは何処に?」
ライオネルは家畜の被害に遭った農夫に尋ねた。
「それが・・・この街にはチャペルが無いのです。随分前に、廃墟となったチャペルがあるだけ
で・・・」
すみません、と農夫は申し訳なさそうに頭を下げた。
弱りましたね、とシールは言った。
「何処か別の街から、派遣してもらいましょうか」
「時間がかかるな・・・。派遣を依頼するなら、牧師が到着するまで最低限の調査をしなくては」
警察機構に黒ミサ関連の事件は手に余る。ライオネルはそれをよく知っている。
深刻な顔のライオネルを見た農夫は、思い出したように言った。
「あ、あの、小耳に挟んだのですが、旅行として今日訪れた牧師様とシスターが居るそうです」
「本当ですか? 今どちらに」
願ってもない好機だ。
ライオネルは表情を一変させて、農夫から詳しい話を聞いた。
農夫の話を聞いて、ライオネルとシールは牧師達が泊まっているという此処唯一の宿に訪れ
た。
宿の主人に事情を話すと、牧師達が居る食堂へ案内された。他に客が居ないのか、食堂に
は牧師とシスター以外誰も居なかった。
牧師はライオネルに気付き、シスターも読書を中断して顔を上げた。
牧師もシスターも、まだ全然若い。十代後半の顔立ちだ。旅行中にも拘わらず、どちらも制服
を着ていた。
ライオネルは主人に礼を言って下がってもらい、二人に声をかけた。
「失礼」
少し不安そうな顔をして、牧師達はライオネルを迎えた。
「私はライオネル・ジャスティレイドと申します。こちらは補佐のシール」
シールは軽く会釈した。
牧師とシスターは互いに顔を見合わせ、無言のまま首を傾げる。
「セイク・エイリオンです。それで、何か・・・」
牧師が応じた。
「ええ。実は君達に、依頼したい事があるのですが」
「お言葉ですけど、本気で依頼をするのなら、その“こんな子供で大丈夫かなあ”的な顔は止め
て下さい」
ライオネルの言葉をさえぎったのは、まだ幼さを顔に残したシスターだった。
シスターの発言に、セイクと名乗った牧師の顔が青くなった。
「ルーシャ、失礼だろ。あの、すみません・・・」
セイクが頭を下げると、ライオネルは我に返った。
シスターが言った事は正しい。チャペルをよく知らないシールは勿論だが、自分も少し顔に
出ていたみたいだ、とライオネルは反省した。
「いえ。こちらこそ君達の自尊心を傷付けてしまい、申し訳無い」
こんな素直に謝罪されるとは思わなかったらしく、今度はセイク達が面食らった。
「何を企んで」
「依頼を聞かせて下さい!」
シスターの言葉をさえぎって、セイクが声を上げた。
何処か人間不信なシスターの事は置いておき、ライオネルは事件の内容を話した。
「・・・これが今解っている事件の詳細です。解決のため、君達に協力して頂きたいのですが」
「多分黒ミサだと思いますけど、結構詳しいんですか?」
「若い頃、よく黒ミサ関連の事件に巻き込まれたもので」
大変だったが、今思えば懐かしい良い想い出だ・・・多分。
「解りました。俺達で良ければ」
「助かります」
シールはまだ不安そうだが、ライオネルは一先ず安心した。
「ほら、ルーシャ。行くよ」
「被害に遭った農場へ?」
「え? うん」
当たり前だと言うように返したセイクに、彼女は呆れ果てた顔をした。
「行ってもヤギの死体が転がってるだけでしょ? 何しに行くのよ」
「え、いや、でも」
「でもじゃないの。私達は、獣医でも蘇生術者でも死体マニアでもないのよ。行くだけ時間の
無駄」
最後のマニアはよく解らないが、言っている事はもっともだ。
「君、名前は?」
ライオネルが尋ねる。
「ルーシャ・H・リックスです」
「エイチ?」
「ええ、ただのエイチ。母が叡知とかけたと言っていました」
変わった名だ。本人は気に入ってるみたいだが。
「じゃあ、これからどうするつもりなんだ?」
セイクはルーシャに尋ねた。
「行くまで考えとくわ。私、仕度して来るから」
ルーシャはさっさと食堂から出て行き、セイクも仕度のために後を追った。
二人が居なくなると、シールは胸の内の不満をライオネルに告げた。
「・・・少佐、お言葉ですが自分は彼らに任せるのは、酷く賛成しかねます」
「技量は年齢ではなく経験だ。違うか?」
「そう、ですが・・・」
「彼らを見ていると、昔を思い出すよ。私の友人もあれくらいの時は凄い働きぶりだった」
「ご友人? ああ、チャペルの。今はどうしてるのですか」
途端、ライオネルの顔が少し曇った。
「突然居なくなって、十年以上も音沙汰が無い。失踪中なんだ。一部では死んだという嫌な噂も
流れてる」
尋ねてからシールは後悔した。
シールが謝罪しようとした時、セイク達が戻って来た。早い。元より荷物があまり無いみたい
だ。
セイクは奇妙な模様の刺繍が施されたグローブを装着し、ルーシャはリュックを背負っただけ
だ。それだけで大丈夫なのだろうか。シールはまた不安になる。
ルーシャは皆に一言だけ告げた。
「じゃ、隠れ家っぽい所を捜して下さい」
それだけか!? ルーシャ以外の全員が思った。
「ぐ、具体的に説明してくれないかな」
ライオネルも少し先が思いやられた。
ルーシャは面倒臭そうな顔をして、ダラダラと答えた。
「黒ミサがヤギの頭を儀式に使うのは、大体想像つくと思います。しかも頭は鮮度が命なんで、
もう何処かで儀式が行われてるかも知れません。丁度夕方だし」
食堂の窓からは、西陽が射し込んでいた。悪魔は夕陽と来るものです、とルーシャは言っ
た。
「で、儀式を行えそうな隠れ家っぽい所を捜して下さい。それしか無いんです」
「儀式って、何です」
シールが尋ねる。そこまでは解りません、とルーシャは返した。
「教会だ」
不意にライオネルが言った。
「街の廃墟となった教会へ行こう。黒ミサが神を冒涜するには、相応しい場所だ」
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廃墟と化した元の面影すら無い教会。
ライオネルの言葉が的中し、教会の中には全身が黒色で統一された服装の黒ミサ崇拝者の
姿が見えた。
「聡いよね、あの警察のおじ様。神を冒涜するには相応しい場所だなんて。格好いい」
「そうだね」
「妬いてんの?」
「果てしなく違うよ」
「二人とも、静かに」
ライオネルは指を立てて二人を黙らせた。
場所が当たったのはいいが、現場には四人しか居ない。他の警察機構の人間は、別所で
調査中だ。もっと部下を連れて来るべきだったか。しかし、あまり人数が居ても相手に気付か
れる場合もある。
「こちらは少数の上、相手の数も武器を所有しているか解らない。どうするか・・・」
「突っ込む」
ルーシャはセイクを引っ張り、本当に窓から突っ込んだ。
「ル、ルーシャくん!!」
ライオネルは二人を止めようとして叫ぶが遅い。ルーシャとセイクは既に教会内で黒ミサの
注目の的だ。
「誰だ、貴様ら!」
頭らしき男が叫ぶ。ルーシャは無視し、連中の数を冷静に数えた。
「ニの四・・・七人。行けそうだね」
「ルーシャ、頼むから無茶をしないでくれ」
セイクはようやく体勢を直し、ルーシャはリュックから中に液体が入ったガラス製の球体を
取り出した。
「何の儀式か知らないけど、止めないと痛い目に遭うわよ」
「チャペルの犬が! 今すぐ」
「警告はしたわ」
ルーシャは相手の言葉を他所に、持っていたをガラス球を投げ付けた。
球は相手の顔面に当たると簡単に割れ、中の薄黄色の液体が漏れた。そして液体を浴びた
途端、男は苦しみ出した。
「うああっ!? い、痛い! 目がぁ!!」
「なっ、貴様何を!」
ルーシャは得意げに笑う。
「私が錬成した聖水よ。しばらくはそのままね」
「ただのワインビネガーじゃ・・・痛ッ!」
「セイク、うるさい」
事実、これでもセイクはルーシャより四つも年上なのだ。
「この!」
黒ずくめの連中が短剣を手にし、二人に襲い掛かる。セイクはルーシャに叩かれた頭をさす
りながら、左手をかざした。
黒いグローブに施された銀糸の刺繍が光り、炎が上がった。炎はまるで意志があるかのよう
に、連中のローブに巻き付いた。
「わあああ!!」
その様子を外で見ていたシールは、思わず生唾を呑んだ。
「凄い・・・」
「あれがチャペルだ、シール」
ライオネルは口元に笑みを浮かべると銃を抜き、教会に踏み込んだ。
「警察だ! 抵抗をするなら、容赦はしない!」
チャペルだけでなく警察機構も居た事に、聖水、もといワインビネガーを浴びた男は歯軋り
した。
そして、やはり警告には従わず、男は傍の大釜に向かって何かを唱え出した。
「あのヒゲ・・・!」
ルーシャは男に向かって駆け出した。儀式を止めなければ。
大釜の傍には三つの山羊の頭があり、瞳が一瞬だけ紅く光った。男は妙な形の小瓶を握り
締め、一心に唱えている。
ルーシャは止めようとしたが邪魔が入った。黒フードを被った年配の女が、ルーシャに短剣を
向けて来た。
再びルーシャはガラス球を投げたが躱された。が、ルーシャは女が避けた先へ、別の白い球
体を投げ付けた。球体は女の鼻に当たって割れ、中から赤い液体が出た。
「ひっ・・・きゃああ!?」
「お気の毒様」
特製、タバスコとチリペッパーとマスタードの混合液だ。
女の手を抜けるとルーシャは男に向かって走った。
最後に男が力強く叫ぶと、大釜から真紅の光が漏れ、男が持つ奇妙な形の小瓶に収まっ
た。
「これでいい・・・!」
男はルーシャの存在に気付いた。すると、小瓶を空高く投げた。
「あっ!?」
天井の割れ目から野烏が現れ、小瓶を咥えて飛び去ってしまった。
「ハハハ! 残念だったな、チャペルのい」
犬、と言おうとしたところへ、男の顔にルーシャの拳が入った。力が無くても、急所に入れば
どんな人間でも膝を折る。顔の中心に打撃を喰らった男は両手で鼻を覆い、床にうずくまっ た。
「うるさいよヒゲ。セイク、他を捕まえて」
「解ってる」
セイクが左手をかざすと、今度は太い氷柱が降り注ぎ、連中のローブを床ごと貫いて張り付
けにした。
突然目の前に氷柱が降って来たので、シールは驚きのあまりに固まってしまった。
「シール、大丈夫か」
「・・・あ、し、少佐」
「まだ終わってない。早く連中を捕らえるんだ」
ライオネルの足元には、既に拘束された二人の黒ミサが居た。
「り、了解!」
我に反ったシールは手錠を手にし、連中の拘束に取り掛かった。
ライオネルはルーシャの元に向かった。ルーシャは床で痛みにもだえる男を他所に、大釜の
前で硬直していた。
妙だと感じたライオネルも大釜の中を覗くと、大量の内臓がそこに詰められていた。
「っ・・・!?」
思わず口元を抑えて、ライオネルは大釜から目を反らした。
「ライオネルさん」
ルーシャは眉をひそめて言った。
「確か此処で、失踪事件とかありましたよね?」
「あ、ああ」
じゃあ、やっぱりこれは・・・。と、ルーシャは呟いた。
ライオネルは理解した。大釜の内臓は、失踪した男女のものだ。そうに違いない。
いたたまれない気持ちを抱え、ライオネルは鼻血を出している男を乱暴に拘束した。
ルーシャはリュックから小瓶を取り出した。
「それは?」
「聖水。今度は本物です」
小瓶の中には、とても澄んだ水が入っていた。
「セイクは浄化の魔術を使えないし、私はシスターだから魔術すら使えないから、聖水で浄化
するんです」
ルーシャは聖水を大釜の中に注いだ。すると、心なしか場の空気が軽くなった気がした。
「ルーシャ」
「お疲れ、セイク」
「さっきの烏は?」
「このヒゲが儀式で得た物を持って行ったの」
ルーシャは苛立たしげにライオネルに拘束された男を指差した。
「この男をどうする」
「勿論、尋問」
「やっぱり・・・」
セイクはがっくりと肩を落とした。ルーシャの中には『引き渡し』という言葉が無いらしい。
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