魔王、受難 5

 人間界で自分の立場を若干忘れ、ヒトとしての生活に満喫しているラキュルスの元に使い魔
がやって来た。何でも、すぐに魔界に帰還して欲しいとの報せであった。しかも魔王に内密の
話らしい。
 ラキュルスは嫌な予感がした。
 こっそりデスネルの目を盗んで、自宅の窓からカラス姿で飛び立とうとしたが、
「魔界へ戻るのか?」
 声をかけられた。
 流石は魔王。幼女になっても(禁句)その目ざとさは変わらない。
「ギクッ!! は、はい。定期的に魔界の様子も見ないと、反デスネル様組が厄介事を起こし
ますので・・・」
「お前、今時ギクッて言うか普通」
 今ではすっかりスカートに慣れて来た(元)魔王デスネル。しかし、常に下にはスパッツが
着用されている。時が経つのも早いもので、デスネルはもう九歳である。
「魔界に戻るのならば、ザクロを持って帰れ」
「ザクロですか? 人間界にもありますが・・・」
「口に合わん。解ったな」
 果たして魔界のザクロも、今のデスネルの口に合うか・・・。と、ラキュルスは不安に思った。
 ともあれ、用件はそれだけなのか、デスネルはそれだけ言うとラキュルスに背を向けた。ホッ
と安堵して、ラキュルスは魔界へ舞い戻った。





 魔界、城の地下研究所。
「な・・・なんだとおおおッッ!?」
 ラキュルスの絶叫がうるさく響き渡った。
 研究員であり、現在デスネルの本来の肉体、つまり器を創り上げている下僕達は、愕然と
するラキュルスの前に怯えながらひれ伏していた。
 ラキュルスが下僕から聞かされた一言。


 器の完成まで、後十年くらいかかるかも知れない。


 との事だった。
「じ、十年・・・。十年も私は無事で居られるか! 一体何故そんな時間がかかるのだ!」
 魔界の者にしてみれば、十年など瞬きする間に終わるような感覚だ。だが、人間の感覚は
違う。デスネルは五年ですら長いと言った。もしこの事がデスネルの耳に入れば・・・。そう思う
と、ラキュルスはゾッとした。確実にデスネルに全身の羽根をもがれる。
 下僕は少しだけ顔を上げ、ラキュルスに言った。
「そ、その、眼球の材料となるディーヤン鉱石が昨年の十倍値上がりしまして・・・」
「値上がり!?」
「他にも、材料が足りなくて・・・。骨格を創るための材料が、下半身分ありません。神経を紡ぐ
糸も頭へつなげる部分が不足し、ごまかしは利きますが、復活したらきっと頭がパーになって
いるかと。髪の材料も一つ足らなく、身体が活性したと同時にハゲる可能性があります。それ
から」
「まだあるのか!?」
 ラキュルスは目眩がした。
「も、申し訳ありませんっ。それから、一番肝心な血液がありません」
「血? それならば、魔界中の者の血で補えば良いではないか」
「駄目です。そうすれば、デスネル様は以前ほどの魔力を使えません。元の血でないまま復活
しても、いつお命を奪われるか・・・」
 厄介な問題だ。下半身無しで頭がパーになりハゲても困るが、無力な魔王の末路は決まって
いる。
 これでは復活する意味が無い。
 先代の魔王、つまりデスネルの父親の血でもあれば良かったのだが、彼はもう居ない。骨も
残らずこの世から消えた。
 ラキュルスは不意に壁を殴った。下僕達は震え上がり、小さな悲鳴を漏らした。壁にヒビが
入り、ラキュルスが手を引っ込めるとパラパラと破片が落ちた。
「・・・引き続き、器を創れ。血の事は後回しだ」
 下僕達は床に穴が空くほどひれ伏した。
 ラキュルスは胸にわだかまりを抱えたまま、その場を後にした。
「デスネル様・・・。くっ、何という事だ」
 何処までも上手く事が運ばない。デスネルには口が裂けても言えない話だった。





「何だ、早い戻りだな」
 ラキュルスは夕時に三島宅へ戻って来た。何も知らないデスネルは、いつものふてぶてしい
態度で彼を迎えた。
「どうだ、わしの器は。順調か?」
「えっ、ああ、はい。ただ、デスネル様の本来のお姿を再現するのに手間取って・・・」
「フッ、そうだろうな。わしは魔界一美しくかつたくましい身体であったからのう。ちゃーんとスタ
イリッシュな身体にするよう下僕らに伝えておけ」
「は・・・」
 やはり言えなかった。いくら重大な事とは言え、下半身が無いだの、頭がパーだのハゲだ
の・・・。一番重大なのは、そんな事ではなく血であるが。
「で、ザクロ」
「はい、持って帰りましたとも」
 どうぞ、とラキュルスは採って来た魔界のザクロをデスネルに手渡した。
 デスネルは早速割って、実を一粒口に含んだ。
「・・・・・・うっ、げろまずオェッ!!」
 が、すぐに吐き出した。
「デ、デスネル様、大丈夫ですか!?」
「な、何だこのザクロ! 血生臭ッ!」
「それが魔界のザクロではありませんか。魔界に生えるザクロは、人間の赤子の血肉を糧とし
て育っている事をお忘れですか? 我々魔族が人間の血を欲するのを、それで補っていたで
しょう」
「うぐぐ・・・。そうであったわ。うう、マズ」
「だから、人間の舌に魔界のザクロは合わないと思ったのですよ」
「だったら早く言えぇッ!!」
 デスネルはその血生臭いザクロを、思い切りラキュルスに投げつけた。
 後十年。それまで自分の身はもつだろうか、と薄れ行く意識の中ラキュルスはぼんやりとそう
思った。