魔王、受難 3
「プール開き、ですか」
ラキュルスは帰宅したデスネルからプールについてのプリントを受け取り、保護者の如く注意
事項を読んでいた。
季節は既に夏。小学校では、屋外での体育の授業がプールに変更される時期である。
「沢山のガキ共と戯れるのは好きではないが、涼しいのなら止むを得まいな」
「外での授業は悲惨でしたからねえ」
「大体、人間界は暑過ぎるのだ! 何なのだ、春夏秋冬とかいう季節はっ」
魔界には季節が無い。温度差が激しい人間界で、デスネルは必ず季節の変わり目に体調を
崩した。
今のところ、デスネルが大嫌いな季節は夏と冬である。小学生ならば、夏は夏休みがあるか
ら好き、というお決まりの台詞があるが、この時のデスネルは『夏休み』など知らなかった。
「デスネル様、くれぐれも溺れないよう」
「たわけ! わしはカナヅチではないわ。お前とは違うのだ」
「わっ、私はほら、あの、所詮はカラスに過ぎない存在でして・・・」
ともあれ、明日は初のプール。自分のスクール水着姿に頭を抱えながら、デスネルは明日が
大雨になる事を願った。
晴天。これほどまで太陽が憎かった事はあろうか。何度かあったかも知れない。
デスネルはプールの時間が来るまで、ひたすら雨が降る事を祈っていたが、無駄な抵抗で
ある。クラスメートは打って変わって大はしゃぎである。
「何が楽しいと言うのだ・・・」
「愛依ちゃん、目薬とか持って来たー?」
「え、必要なの?」
顔を引きつらせて少女口調になるデスネル。幼稚園の時は、目薬などは使わなかったはず
だ、とデスネルは回想していた。
クラスメートの女子が頷く。
「うん。お母さんが持って行きなさいって。プールに入ると、目が痛くなるらしいよ」
「(身体に障害を来たしてまでやる価値があるのか人間界プール開き!?)」
魔界での水浴びと違って、人間界のプールには塩素という成分が入っている事をデスネルは
知らない。
「あのさ、良かったら貸してもらえない?」
「うん。でもあまり貸し借りしない方がいいみたいだよ。目の病気がうつるって」
「(何処まで奥が深いのだ人間界ーーーッッ!!)」
真水で目を洗っても問題無い事を、デスネルは(以下同文)。
そんなこんなで、プールの時間がやって来た。他のクラスとも合同で、プールサイドは生徒で
ごった返していた。
そして必ず出る『うっかり足を滑らせてプールに落下した生徒』である。勿論わざとで、しっか
りと体育の教師に説教を喰らっていた。
「寒い」
デスネルの二の腕には鳥肌が立っていた。涼しいはずなのに、何故こうも身体が震えるの
か。消毒やシャワーの所為もあるだろう。その状態で準備体操である。
「ううう、このままプールに入れば間違いなく心臓発作を起こすぞ」
中にはもう唇が真っ青な男子まで居る。デスネルは心のうちで、上半身をさらけ出す水着で
なくて良かった、と思っていた。
体育の教師が笛を鳴らした。
「それでは、飛び込まないようにプールに入る事!」
歓声がわっと上がり、生徒達はいっせいにプールへ入った。デスネルも渋々入る。
そして上がる絶叫。
「寒ァーーーッッ!!」
「愛依ちゃん、愛依ちゃん」
「つつつ冷た過ぎる! よく平気だなっ」
あまりの寒さに地に戻るデスネル。
「もぐっちゃえば大丈夫だよ」
「何?」
デスネルは息を吸い込んでもぐって見た。確かに暖かいとは言い難いが、さっきよりはマシに
なった。
浮上すると、クラスメートが得意げに笑っていた。
「ね?」
「確かに」
周りの生徒はもう先程の寒さを忘れ、水をかけたりもぐったりと市民プールのような状態と
なっていた。
「愛依ちゃん、どっちが長くもぐってられるか競争しよっ」
「死にたいのかこいつは・・・」
「え?」
「う、ううん。何でもない」
「じゃー行くよ。せーのっ」
仕方なくデスネルも息を大きく吸い込んでもぐった。
デスネルは絶対長くもぐっていられる自信があったが、途中で苦しくなり、クラスメートの女子
とほぼ同時に水面に顔を出した。
「はあっ! 苦しかったねえ」
「あ、うん・・・(短いな。魔界に居た時は一時間はもぐってられたのに)」
デスネルは改めて、自分の身体が以前とは違う事を思い知らされた。
しばらく生徒達がプールに戯れていると、教師が笛を鳴らして生徒達を上がらせ、五十メート
ル競泳をやると言い出した。ビート板も使っていいらしい。
「あたし、泳げるかなあ」
「大丈夫でしょ」
と、デスネル。簡単な事だ、このプールの端から端へ泳ぐだけの事だ、とデスネルは思って
いた。
そしてデスネルの番が回って来た。デスネルはクロール(もどき)で泳ぎ出した。が、十五メー
トル付近を通り過ぎた時だった。
「うっ!?」
急に苦しくなり、足を着いてしまった。何事かと思ったが、すぐに原因が解った。
体力がもたなかったのだ。
「・・・・・・」
自分の身体に腹が立つデスネル。しかしどうしようもない。
「あの小娘が泳げるか否かと言っていたのは、この事か・・・。くそっ」
まだ半分も来ていないと言うのに。
デスネルは舌打ちすると、再びクロール(もどき)で泳ぎ出した。
ようやく泳ぎきった時にはグタグタである。デスネルと同じような生徒も居れば、まだまだ泳げ
ると自慢げに言う生徒も居る。その自慢げに言う生徒の大半が、やはり男子であった。
やはり体力の差が見せ付けられる。
「おのれ・・・」
このままでは自分のプライドが許さない。
「ラキュルス、手っ取り早く体力がつく方法を考えろ!」
「・・・は?」
学校から帰るなり、デスネルはラキュルスにそう言った。
「デスネル様、そんな事をなさらずとも、このラキュルスが全身全霊で貴方様をお護り」
「そんな事は問題ではない! わしは・・・わしは、自分が弱者だと思われるのが嫌だ! 元通
りにとは言わん。せめて男子並みに体力をつけたいのだ!」
「弱者だと思われるのが嫌だとおっしゃられても、今は少女なのですから誰も」
「少女と言うなーーーッッ!!」
デスネルは水着が入ったカバンをラキュルスにぶつけた。
「痛ァッ! そ、それくらいの腕力があれば充分かと・・・」
「信じられぬのだ。長くもぐってられず、たかが少し泳いだだけで身体がズーンと重くなり、息も
ままならない。その後の授業は疲労の所為で半寝し、ほとんど覚えておらぬ。しかも、今だっ て・・・眠・・・」
デスネルは目をこすって眠気に耐えた。
ラキュルスは、やれやれと苦笑を漏らしながら人間の姿になり、ヒョイとデスネルを抱え上げ
た。
「なっ。この無礼者! 下ろせ!」
「デスネル様、無理は身体に良くありませんよ。ささ、しばらく横になって下さい」
ラキュルスは暴れるデスネルをベッドに下ろすと、布団を被せてあやした。
デスネルは無茶苦茶不機嫌な顔をして、ラキュルスを睨みつけた。
「貴様・・・覚えておれよ。今はおとなしく寝てやるが、起きたら」
「解っております。説教でも何でも聞きます。お休みなさいませ、デスネル様」
「くっ・・・。フン」
とうとう眠気に負けて、デスネルは昼寝に入った。
「体力、か」
此処はデスネルのためにも一肌脱がなくては、とラキュルスは早速魔界の者と連絡を取り
始めたのだった。
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