魔王、受難 1

 春。それは暖かき桜の季節。
 そして。


 入学式。


「何故にまだ教育場に行かねばならぬのだくそーーーッ!!」
「カアアッ!!」
 小学校の入学式を済ませた三島愛依こと(元)魔王デスネルは、家の自室に帰るなり下僕の
ラキュルスに思い切りカバンを投げつけた。
「何故だ・・・何故だ何故だ何故だ!? つい最近、幼稚園とやらを終えたばかりであろう!」
「ええ、その、デスネル様、しばらく私は人間界の事について色々と調べました。その結果、
人間界には『義務教育』なるものが存在し、十五歳になるまでそれを課せられましてですね」
「義務もクソもあるかーーーッッ!!」
「物を投げないで下カア!!」
「ええい、人間は何故にこうも面倒臭いのだ! またしても幼稚園と同じような場所へ行く事に
なるとはっ・・・。何なのだ、あのショーガッコウとかいう場所は!? ニューガクシキとやらも
鬱陶しいぞ! 父親はビデオやら写真やら撮る撮る撮る!! 貴様もちゃっかりわしと映って
おるでないわ!」
「いや、せっかく貴方様の従兄妹になったのですから記念に」
「そんな記念は要らぬわ!!」
 人間界生活、六年目。
 デスネルはまだ魔界に還る事は出来ない。この魂を入れる器が完成していないからだ。
 出て行きたい。デスネルは切実にこの家を出て行きたかった。
 だが、この幼女の身体では世間を生きて行けない。魔界では有能のラキュルスも、人間界で
は頼りにならない。
「ラキュルス、両親を洗脳してショーガッコウとやらに行かなくてもいいようにしろ」
「あーそれは無理でございます。って、そう殺気立たずに聞いて下さい。洗脳したとしても、世間
では義務教育を受けさせない事は罪となり、法によって罰せられる事がありま」
「そんな国家潰してくれるッ!!」
 そしてラキュルスに投げつけられる国語辞典(小学生用)。
「決めたぞラキュルス!」
「な、何でしょうか・・・。うっ、鼻血が」
「わしは魔界に戻ったら、天界の犬どもより先に、人間界を破壊してくれる! この世界の秩序
をすべて壊してくれようぞ!!」
「以前、此処でゆとりを持たれたのではイダダダダダ!! すみません申し訳ありませんお許
しを!!」
 デスネルはむしり取ったラキュルスの羽根をゴミ箱に投げ捨てた。
 確かに、此処に来て『ゆとり』というものを持ったのは事実だ。
 それは認める。
 だが。
「このような面倒臭い事・・・義務教育など、わしは聞いていないぞ!」
 今にも泣きそうな声で、デスネルはガックリと肩の力を落とした。
 ラキュルスはあれだけ酷い仕打ちを受けながらも、デスネルに近づいて何とか励まそうと
した。
「まあまあ、デスネル様。きっと良い事もありますよ」
「気休めを言うなっ。わしはこんな女の身体で、沢山のガキどもと下らぬ知識を得なければなら
ないのだ! 良い事などあるものか!」
 何よりも『女の身体』というのが最大の痛手であった。
 幼稚園に通っていた時の事を考えると、少しは身長が伸びた。だが、それと同時に、女児に
は男児並みの体力が無い事も知った。

 即ち、貧弱。

 魔界の女は皆強かった。それが人間はどうだ。ただでさえ壊れやすい人間の身体、そして男
より全然弱い女の肉体。
「最悪だ」
 である。
 デスネルは何よりも非力である事が大嫌いであった。
「こんな時に、もしも魔界からわしの命を狙う者でも来たら、わしはどうすればいい・・・」
「何を弱気になっていらっしゃるのです! そのために、この私が居るのではないですか」
 デスネルはチラリとラキュルスを見た。
「貴様に頼るなど最大の屈辱だ」
「酷すぎる!! 私の何がご不満だと言うのですか!?」
「そのすべてだ馬鹿たれがーーーッ!!」

 ガチャ。

「愛依ちゃん、さっきから何を騒いでるの」
 母親登場。
 デスネルは瞬時にラキュルスの首を掴むと、ベッドの掛け布団の下に押し込んだ。
「な、何でもないの。ショーガッコウに行く練習・・・」
 我ながら情けない言い訳だ、とデスネルは胃を痛めながら思った。
「それよりもお母さん、ノックしてってば」
「ああ、ごめんなさいね。でもね、愛依ちゃん。最近、独り言が多いようだけど、何か悩みでも
あるの?」
「(要らぬ心配だ無礼者)何も無いってばーっ」
 デスネルは必死で幼女のふりをして、母親を部屋から追い出すと、一気に脱力した。
 肩の力を落とし、床に座り込むデスネルの姿は、見るからに痛々しかった。
「わしは・・・いつまでこのような馬鹿なふりをしなければならぬのだ・・・?」
「デスネル様、おいたわしい・・・」
「すべては貴様が悪いーーー!!」
「グエエエッ!!」
 デスネルは怒りに任せてラキュルスの首を締め上げた。
 そして、まだこの時のデスネル(と、ついでにラキュルス)は知る由も無かった。魔界からデス
ネルの命を狙う者が、本当にやって来る事など・・・。